東京で唯一鉄道が通っていない自治体という、
あまり有り難くないキャッチフレーズ。
公共の足はバスしかない武蔵村山ですが、
市営の温泉施設である「かたくりの湯」は、
「日帰り温泉」の黎明期にオープンしていて、
ブームの火付け役を立派に果たしてきました。
都会の喧騒は遥か遠く
自治体で日帰り施設を運営しているところは、東京で他にあったかどうか・・・、
奥多摩方面ならいざ知らずですが、
ベッドタウンの自治体としては珍しいのではないでしょうか?
武蔵村山と云えば、戦後暫くは「日産の町」として知られていましたが、
カルロス・ゴーン氏によるリストラで広大な村山事業所は廃止となり、
現在更地となったままのその敷地は、まるで空港でも出来るのか?
と思わせるほどの広さがあり、私は個人的に「ゴーン平原」と呼んでいます。
また武蔵村山には歴史のありそうな古い社や、石神、野仏が密集しています。
農閑期には青梅街道を通って江戸まで商いに出かけていた農民が沢山いたそうで、
江戸の文化が入りやすい土地柄だったと思われます。
そのせいか、伝説もいくつか残っているようで、
その中でも気になったのが「六つ指地蔵」の伝説です。
娘の嘆きが地蔵尊に
青梅街道の「大曲」と市役所の間にある原山公会堂の奥、
「神明社」境内の片隅に地蔵尊が祀られています。
こんもりとした丘の中腹、森の中に佇むお地蔵さんが、伝説の「六つ指地蔵」です。
江戸初期にこの原山地区を治めていた地頭の屋敷跡なのだそうですが、
ここの娘が何故か生まれつき指が6本あったのだそうです。
奇形に関する正しい医学知識など皆無であった時代、
その娘は年頃になって自身の身の不幸を悲観して、自ら命を絶ったのだそうです。
娘を憐れんだ里人たちは、その菩提に地蔵を建てたというのです。
数百年前の悲劇が、現在では生まれてくる子供の健康を祈願するために
「子育て地蔵」となって、地元の人々を見守っています。
新興住宅街には無い温かな「信仰」の姿が見られます。
このあたり一帯の山を「観音寺緑地」というそうですが、
現在国分寺市西町にある古刹「観音寺」は元々この場所から移転したお寺です。
何故移転したかは不明ですが、江戸期の新田開発のため入植する人々の、
宗教的支えとなったであろうことは想像に難くありません。
東京ドーム何個分?
宗教と云えば、日産事業所跡地、
所謂「ゴーン平原」の大部分は、とある宗教法人が所有しています。
立川市にも跨るこの平原は、北側のイオンモールを除いて、
もう何年もの間利用方針が具体化しないままになっています。
もしかすると「立川断層」の評価が定まっていないせいかも知れませんが、
それにしても宗教団体がこれほどの広大な敷地を本当に必要としているのでしょうか?
東京のベッドタウンに位置しながら、なんら有効活用されないままに、
納税義務の無い宗教団体によって、
「草原化」されているのは勿体ないと考えるのは私だけでしょうか?
武蔵村山でも8月下旬に花火大会が開催されます。
小規模な大会ですが、お祭り気分は毎年盛り上がりを見せています。
多摩地域の花火大会をそのうち纏めてみようと思っています。
コメント