たまらん坂のオッサンち

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たまらん坂からしらみ坂に入り、
そこを登り切ったところに
平屋の小さなおもちゃ屋さんがありました。
本当なら「しらみ坂のオッサンち」と呼ぶべきかも知れませんが、
郷土の歴史などさっぱり関心の無い悪ガキ時代の話です。

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ガキ大将指南役

屋号を記した看板も無く、表札すら無かったので私は「オッサン」の本名を今だに知りません。

店のおじさんは自分のことを「オッサン」と呼ぶので「オッサンち」になってしまったのでしょう。

そこで売っていたのは昭和40年代で5円とか10円の玩具、

高くても数十円の銀玉鉄砲だとかパチンコだとか、メンコだとか。

雰囲気は駄菓子屋風でしたが、口に入れるものは一切置いておらず、

ガキ大将の遊び道具ばかりでした。

それでも季節感が豊かで、正月が近づくと凧やコマ、

夏休みになると虫かごや花火が軒先に溢れるほど並べられて、

品揃えは何処より豊富でしたから、まさに「腕白小僧の聖地」であったわけです。

オッサンちの評判は広く子供たちに伝わり、かなり広範囲から腕白小僧達が集まって来ていたので、

もしかしたらキヨシローも少年時代に訪れていたかも知れません。

最盛期には子供たちの自転車で道路が塞がれてしまうほどで、

よくオッサン自ら道端に出て「交通整理」をしていたのを憶えています。

このオッサンですが、家族や親戚が訪ねてくる様子は一切無く、

たった独りで店を切り盛りしていました。

所謂身寄りのない独り暮らしだったのですが、

毎日やって来る子供たちにカブトムシの捕り方などを講釈しながら、

結構楽しそうに店を経営しているように見えていました。

子供に示し続けた ”生き方”

しかしオッサンは病気がちで、晩年には店を閉めていることが多くなりました。

というより、このオッサンは店を始めた時点から既に晩年だったのかも知れません。

私は小学校高学年になっていましたが、ある日店を訪ねるといつもなら店頭に座っているオッサンが、

奥の座敷で布団に包まったまま身動きひとつしないので、

訝しく思った私は「オッサン、コレちょうだい」と大声で呼んでみたのです。

するとオッサンは面倒臭そうにモソモソと体を起こし、這いつくばるようにしてやって来ました。

いつもなら「仲良く遊ぶんだよ」「弱い者いじめはいけないよ」などと、

何かしら声を掛けてくれたものですが、

この日はニコリともせずに無言で硬貨を受け取ると、また布団に包まってしまいました。

これがオッサンと会った最後になりました。

中学生になると流石に気恥ずかしくて、オッサンちに足を運ぶことは無くなりましたが、

間もなく「オッサンが他界した」と風の噂に聞きました。

一体どんな人生だったのだろう。

私が「たまらん坂」と聴いて真っ先に思い出すのがこの「オッサン」です。

今を去る事もう四十年以上前の話になります。


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