自分は悪人であると自覚する人は、どちらかというと善人だ。
厄介なのは、加害者のくせに被害者の顔をして生きている輩だ。
その善人ヅラで、他人だけでなく自分自身をも欺いている連中だ。
資本主義は、カネの奪い合いで成り立っている。
奪う者がいれば、必ず奪われる者がいる。
例え大金を奪われても、シンジケートの力で傷付かぬ者もいれば、
大金を奪いながら、その金の意味を見出すのに苦労する者もいる。
日本脱出
裕二(犯人)は宮崎市内のサレジオ会施設に匿われて年を越した。
1ヶ月もすれば世間の関心も下火になるだろうと、タカを括っていたが、
騒ぎは一向に収まる気配を見せない。
収まるどころか、現職の白バイ警官の息子が嫌疑をかけられた末に、
服毒自殺するという、まったく想像だにしなかった事態も起きていた。
犯した罪は、たかだか「窃盗罪」に過ぎないが、金額が金額だけに、
世間の興味関心は留まるところを知らず、加熱する一方であった。
そんな中、東京サレジオ学園の神父は、裕二を海外に脱出させる決心をしていた。
幸いにして、公開されたモンタージュ写真は、本人とは似ても似つかない。
下井草教会では、サレジオ会幹部の秘密会合で、神父が焦りを隠さず怒鳴っていた。
「今のうちだ! 今のうちに急いで彼をトリノに向けて出発させるのだ」。
「彼を捕まえさせるわけには絶対に行かない、分るでしょう!」
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裕二は施設の責任者から、今後の身の振り方について打診されていた。
サレジオ会の方針として、「海外脱出」を強く奨められていたのだ。
偽白バイと、国分寺跡の現金輸送車、それに第3現場に乗り捨てたカローラは、
連日ワイドショーを賑わしているが、
未だ「多摩五郎」が発見されたというニュースは無い。
奪った現金は、早々とBOAC機によって「密出国」済であったが、
裕二も引き続き、同エアラインの「お世話」にならざるを得ない情勢だ。
彼にはまだ捜査の手が伸びて来てはいないため、出国手続きも今なら円滑に行える。
宮崎に住民票を移していたのも、旅券申請を睨んでの事だった。
裕二は東京での個人タクシー開業を断念した。
諦めることで開かれた扉
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ローマ、レオナルド・ダビンチ空港に降り立った裕二は、
ボストンバッグひとつと、至って軽装であったが、
今の彼にはそれが「全財産」であった。
到着ロビーで、裕二は「身元引受人」の姿を捜していた。
やがて後方から「こんにちは、裕二さんですね」と、流暢な日本語で声を掛けられた。
振り向くと、品の良さそうな中年男性が満面に笑みを浮かべていた。
「驚きましたか? 私は以前日本に勤務していたので日本語は得意です」。
ローマで彼を出迎えたのは、ベルギー国籍の聖職者、ベルメルシュ・ルイズだった。
二人はこの後サレジオ会本部の在るトリノに移動した。
当面トリノの近郊にベルメルシュが用意してくれた家で、共に過ごす事になっていた。
「ここまで来ればもう安心ですね、よくやりました」。
「心配要りません、貴方が犯した罪など、私の罪に比べたら…」。
言葉の通じぬ異国で、唯一の話し相手であったベルメルシュから、
やがて裕二は9年前の「スチュワーデス殺人事件」について聞かされることになる。
なるほど、「身元引受人」について、年恰好などの特徴だけを伝えられ、
名前を教えて貰えなかったのは、そういう事情によるものだったのか。
今自分が置かれている状況は、自分自身で招いたものだが、
それにしてもサレジオ会というのは、なんと恐ろしい組織なのか…。
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東京、小金井本町団地の駐車場から、
空のジェラルミンケースを積んだ「多摩五郎」が発見され、世間が騒然となっていた頃、
犯人裕二は、遠くイタリアでの日常生活に、早くも慣れ始めていた。
かつて育英高専で、英会話の講師をしていたベルメルシュのアドバイスもあり、
片言の英語で、なんとか周囲とのコミュニケーションも取れるようになっていた。
そんな裕二の耳に焼き付いたベルメルシュの言葉がある。
「断念は新たな人生の扉です、貴方はサレジオ会を『踏み台』に出来ます」。
三億円犯人 半世紀の足取り
奪う事で、全てを失った犯人裕二。
全てを失ったことで、新たな人生の第一歩を、遠い欧州の地で踏み出す事が出来た。
サレジオ会の組織力は、そんな彼に就労ビザを与えるべく画策を惜しまなかった。
裕二は犯行の翌年、トリノからバチカンに移転し、そこに住まいと仕事を得た。
それから半世紀、彼は地元で妻子を得、
現在は地中海の島で、家族と共に小さな教会を運営している。
あのまま日本に残ってタクシードライバーを続けていたとしたら、
例え組織からの報酬も得続けたとしても、税務処理などが困難になるばかりで、
やがてはそれが元で、「三億円犯人」であることがバレてしまうかも知れない。
バレないためには、「一切の恩恵を受けない事」しか方法が無い。
それでもいい、人生の意味を勝ち取るために、命懸けで闘った12.10。
日本を去る際、羽田まで見送りに来た神父は、「7年間我慢せよ」と言った。
しかし例え7年後に公訴時効を迎えても、
裕二は日本に帰れば「三億円犯人」であることに何の変わりもない。
ベルメルシュの言葉を信じ、裕二は「帰国する意志は無い」ことを組織に伝えた。
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事件後日本では、金融のオンライン化が急速に進んでいった。
その結果、給料袋の中身は明細書の紙切れ1枚という、かなり味気ないものと化した。
12.10がもたらしたものは、単なるキャッシュレス社会だったのか?
「三億円犯人」を「悪人」として憎む人は、現代ではごく少ないのではないだろうか?
事件当時の記憶を遡れる者としては、決して盗人を称賛するわけではないが、
善と悪との境界線を、実に曖昧で、不鮮明なイメージとして、
この半世紀、人々の心に刻み込ませた出来事であったように思われる。
昭和だから出来た 12.10
昭和40年代、子供達の遊び場はもっぱら「空き地」であった。
そもそも「空き地」とは、単に「未利用地」であるだけでなく、
「所有者不明で、出入り自由な、そこそこの広さを持つ土地」のことを指す。
だから子供達は毎日そこで、自由に遊ぶことが出来た。
そこは「何をやっても、誰からも怒られない場所」であったのだ。
また大人にとっても「空き地」は重要な意味を持つ。
例えば、車やバイクを勝手に停めておくことが出来、誰にも咎められなかった。
仮にそれが盗難車であったとしても、誰もそれに気付かない、警察でさえも…。
公営団地の駐車場は、管理がなされていない点から、「空き地同様」と言える。
誰が何処にどんな車を置いていようが、知った事では無い。
車の数より駐車場の区画数の方が、圧倒的に多かったのだろう。
給与の口座振り込み以前の、防犯カメラの数に圧倒されるより、遥か以前の、
畑と空き地ばかりの、モノクロームな印象。
筆者が遠い記憶の中に持つ「昭和40年代」のイメージである。
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だからこそ筆者は三億円犯人の今を、カラフルなイメージの中に置いてやりたかった。
「地中海の島」で画像検索すると、沢山の「カラフル」がヒットする。
それらは、日本の昭和とは正反対なイメージである。
地中海には千を超える島々があるという。
そこで犯人の「今の居所」を捜すことは、「多摩霊園の墓石を退かす」行為に等しい。
東京サレジオ学園の神父が、「置き土産」として、ジェラルミンケースの中に、
「骨壺」を放り込んでおいたのも、警察に貴重な「手掛かり」を与えてやるためだった。
まったく御苦労な話である。
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平成から令和へと時代は移り、
昭和は更に遠退いて行く。
今にして思えば昭和とは、
どこか間が抜けていて、それでもどこか暖かい時代であった。
本記事はフィクションであり、登場する団体、個人は全て実在しない架空のものです。
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