ブラタモリ補足 御陵線 八王子

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先日9/17に放送されたNHKのブラタモリ。
御覧になられましたでしょうか?
高尾山の自然も素晴らしかったのですが、
当ブログの得意とする「廃線跡」の登場で、
特に私が日頃やっているのとほぼ同様な切り口で、
かつての鉄道跡地が紹介されたことで、
私もつい嬉しくなってしまいました。
そこで今回はそのブラタモリの補足になります。



京王御陵線

昭和20年 国土地理院
京王御陵線実在の頃
高尾線は当然まだ無く、ここから分岐したという解釈が正しい

ブラタモリ

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補助金目当てから乗客獲得へ

終戦まで八王子市の北野から分岐した線路が、大正天皇陵の参道まで伸びていました。
京王御陵線と呼ばれ、天皇崇敬の時代に小学生の団体など、
集団参拝によく利用されていたそうです。
ここで、ブラタモリでは触れていなかった「京王電鉄」の略歴について、
当ブログ流に簡単な解説をするならば、かつて京王線は府中から西の区間は、
別会社「玉南電気鉄道」によって建設されました。
レールの幅も京王線の1372mmではなく、1067mmでした。
従って新宿から東八王子(現京王八王子)への直通運転は不可能だったのです。
何故このようになったかというと、府中から西を「地方鉄道」と位置付けることで、
当時の地方鉄道法による「補助金」が得られる可能性があったからで、
レール幅も法令により、特別な場合を除き「1067mm軌」と定められていたからです。
しかしその目論見は空振りに終わったのでした。
そのためもはや2社に分ける必要は無く、全区間京王電鉄1社に統一、
レール幅も全線1372mmに改軌されたのです。
しかも国鉄中央線の電化区間が高尾まで延伸されれば、競合は避けられないため、
京王電鉄は次の一手を打たねばなりませんでした。
それが、八王子御陵への参拝客を当て込んだ線路の分岐です。

NHKブラタモリで紹介されたように、
北野から京王片倉、山田を過ぎて北西に延びる部分は現在綺麗な並木道となっており、
中央線をオーバークロスして浅川を渡るまでは当時高架橋でした。
ブラタモリで紹介された「住宅街の橋脚」は浅川北岸のものです。
しかしここにも逸話があり、本来計画されたルートは現京王八王子駅からそのまま線路を延長し、
浅川沿いの八王子市北面を横断して御陵に向かうもので、
八王子市内での利用客も想定していたのです。
しかし、鉄道によって「町が分断される」と議会から反対されてしまい、
やむを得ず「北野分岐」となった次第です。



ブラタモリ

京王御陵線

昭和20年 国土地理院
丸印のあたりの橋脚が住宅地に残っている。

天皇崇敬から都民の保養地へ

昭和20年の航空写真を見ると、「御陵前」駅は当時としてはかなり立派な駅に見えます。
事実駅舎は「多摩御陵」という場所柄に相応しい御殿風の建物で、
駅前広場には庭園ま設けられていたそうです。
しかし、戦況の悪化は全てからゆとりを奪い、
この「御陵線」も参拝者以外に殆ど乗客もいなかったことから、
「不要不急の代物」と位置付けられ昭和20年1月に営業休止、
同年8月、豪華な「御陵前」駅舎は空襲によって消滅しました。
高度経済成長期に入ると東京は住宅難となり、八王子市のめじろ台に開発された住宅地には、
徹夜組まで出る騒ぎになったそうです。
現在京王高尾線となって生まれ変わった御陵線。
「日本一」となった高尾山の入り口である高尾山口駅の改修が終わって、
駅前には京王電鉄が経営する日帰り温泉施設もオープンしました。
門外漢が温泉を経営するリスクとして、埼玉県の「サイボク温泉」の例があるためか、
前に「多摩センター」でも御紹介した「極楽湯」チェーンのFCという形をとっています。
平成の「京王電鉄」は賢明なようです。

京王電鉄 御陵前駅

昭和20年 国土地理院
京王電鉄 御陵前駅
櫛形のホーム、少なくとも乗降は4面あったようだ



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