デエダラまつり ハコスカGTR見参 武蔵村山

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武蔵村山の日産自動車跡地、
「だいだら法師」が現れてもおかしくない広さです。
その広大な広場で毎年秋に行われる市民祭り、
「村山デエダラまつり」が毎年秋に行われます。
市民手作りのお祭りで、内容は「なんでもあり」。
年に一度皆が集まって踊ったりパレードしたり、
要は楽しんで地元を盛り上げましょうという趣旨です。
そんな中で2016年には注目の「展示物」がありました。

村山デエダラまつり

木枯らし1号の吹く中で、
熱く始まった「村山デエダラまつり」

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かつて巨人が居た頃 武蔵村山の原点

ダイダラボッチというのは、全国に広まる巨人伝説です。
一説によれば、富士山を造ったのもダイダラボッチだそうで、
その時土をすくったために甲府盆地が出来たのだそうな。
大変な怪力のようですが、
妖怪ブームの昨今、大衆に受け入れられやすい話のような気がします。
因みに武蔵村山には「井戸」をお造りになったのだそうですが、
富士山に比べると、随分地味な仕事をなさったのですね。
お祭りには「多摩モノレールの早期延伸を」という横断幕も掲げられて、
市民の皆さんの切迫した思いが感じられます。
「井戸は要らんからモノレールを」ということでしょうか?

さてお祭りの目玉は、市民パレードと山車の運行だと思いますが、
そちらの方は関係サイトにお任せするとして、私が注目したのはこちらの展示物です。

ハコスカGTR

健在だった「ハコスカGTR」
大事に乗ればこんなに持つんですね。

ハコスカGTR

初代GTRのエンブレム
これだけでも「お宝」です

ハコスカGTR

ハコスカGTRのエンジンルーム
ピカピカです、新車と間違えそう。

やっぱりここは日産の企業城下町だったのですね。
今はイオンモールなどの施設に代わっていますが、
私はここを勝手に「ゴーン平原」と呼んでいます。
その大部分は「宗教団体」の所有地となっており、
「デエダラまつり」もその宗教団体の好意で敷地の一部を貸してもらっているという状況です。
その広大な敷地内で生まれていたのがこちらのクルマたちです。
最も注目を集めていたのは「ハコスカ」と呼ばれる初代GTR。
昭和40年代を象徴するような四角いスタイルに、直列6気筒DOHCエンジンを搭載したこのクルマは、
プリンス自動車のレーシングカーの血を受け継いだ、
まさしく「モンスター」と呼ぶに相応しいマシーンでした。
現在のニッサンGTRとは似ても似つかぬ風貌ですが、
噂によると、このGTRに関して現在の中古車市場では、大抵「ASK」という表示になるそうです。
つまり「要相談」という意味で、コンディションにより一概に値段は付けられないものの、
もし良好な状態であれば軽く「1千万オーバー」だそうです。

ダットサンプリンス

ダットサンプリンス
昭和の匂いが染みている

ダットサンプリンス

コレ何ていうクルマでしたっけ?
今は無い遊び心に感心です。

ケンとメリーのスカイライン

ケンとメリーのスカイライン
当時は卓越したデザイン美だった。

ケンとメリーの頃

その他も色々展示されていましたが、
私の世代では「ハコスカ」よりもむしろ「ケンメリ」の方が懐かしく、深い印象を持っています。
北海道美瑛町の「ケンメリの木」にも行ったことがあるくらいですから。(^_^;)
このあたりから、日産 vs トヨタ の「馬力競争」が幕を開けたのです。
まだ免許を取れる年齢ではありませんでしたが、
「いつの日かスカイライン」という思いははっきりしていました。
しかし、後に「セリカ2000GT」が台頭して、
「名ばかりのGTは道を開ける」と揶揄されたせいもあってか、
私自身はすっかり「トヨタ派」になってしまいました。(^^;

「ケンメリ」とか、「ハコスカ」とか、イマイチ意味が解らんという世代の方は、
どうぞそのキーワードでググってみて下さい。
こんなクルマが青春の思い出になっている世代が大勢いるはずです。
そして、そんな時代を駆け抜けた「日産スカイライン」は、
ここ武蔵村山テストコースで産声を上げていたのです。

村山デエダラまつり

ダイダラボッチ

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