結論を申し上げると、
犯人は「天涯孤独」の人である。
映画「火垂るの墓」を思い出して欲しい、
あのような境遇の子供は沢山居た。
戦争に傷付き、戦争で家族を失い、
罪無くして全てを失った者にとって、
お金で得られる価値には執着が無い。
彼は「三億円」で「生きる意味」を買い求めた。
不運と幸運の狭間で
ひとりの身寄りもなく、親しい友人や恋人、まして配偶者など欲しいと思ったこともない。
ただし、生きる意味だけは失いたくなかった。
「天涯孤独」の人というのは、現代社会ではあまり想定できないかも知れない。
そういう性格の人は五万と居ても、
実際に全くの独りぼっちという境遇の人を捜すのは、きっと困難に違いない。
事件が起きた昭和43年、当時犯人の年齢層は20歳から30歳の間と想定されていた。
実際に犯人と接している銀行員の証言だが、人相についての記憶は怪しいものの、
性別と年恰好についてはそんなに大外れするはずはないだろう。
中間を取って、犯人は25歳だったとすると、彼は昭和18年生まれということになる。
太平洋戦争の真っただ中に生まれた彼は、父の顔を知らない可能性は普通に有る。
戦場で父親を失い、物心ついた頃に、空襲で母も失った。
親類縁者は家族同様に、散り散りになって音信不通、生死も不明のまま。
このような戦災孤児は、当時日本中に溢れていたのである。
「火垂るの墓」のように、多くの子供は衰弱して死んでいっただろう。
しかし、運よく誰かに拾われて、養子縁組などで生き延びた子も居ただろう。
また、戦災孤児を収容する施設、「孤児院」なども各地に設置されていたという。
もしかしたら、彼はそうした施設で育ったのではないか?
例えば奨学金制度で高校を卒業後、就職して立派に独立を果たしたのではないか。
エリートサラリーマンである銀行員相手に、大芝居を打って見事に騙すことが出来たのは、
彼がそれなりの苦労人であったから、物腰や言葉遣いから怪しまれずに済んだのかも知れない。
「警察官」に扮する以上、そこそこ社会人としてのキャリアがあったことは事実だろう。
事件後に噂されたような「少年S」などというヤンキーでは、この犯罪は成し遂げられない。
まして、「遊ぶ金欲しさ」の短絡的犯行などでは、とうていあり得ない。
”何もない” という自由
天涯孤独の人生を運命付けられて育った犯人も、
成長するに連れ、他人との境遇の差を気にしない訳にはいかなかったと思う。
何故自分だけ家庭が無いのだろうと、ひがみやっかみの感情を抱いてもいただろう。
同時にアカの他人でありながら、親身になって育ててくれた施設関係者への感謝の念も、
決して小さくはなかったと思う。
彼は後者を選んで、その思いを糧に成長したのではないだろうか、
他人に対する感謝の思いが、彼を精神的に逞しくしたのだろう。
だからこそ日本の近代史に特筆されるような「大仕事」を成し遂げられたのだ。
しかも「施設育ち」であれば、その人間関係に恩はあっても義理はない。
養子縁組であれば、多くの場合個人的人間関係は永続的なものだが、
福祉施設であれば経済的独立と共に、自然と縁は薄まってゆくだろう。
成人を境に引かれた境界線は、彼を天涯孤独の身の上に戻し、
それは同時にしがらみの一切無い、自由な境遇を手に入れたとも言えるのだ。
彼は世間の人間が滅多に持たない独特の「境遇」を活かして、
「人生の意味」を勝ち取ろうとしたのではないか。
彼の職業は何だったのか?
犯行の手口から犯人のスキルを分析することは、これまでにも多々行われて来たが、
改めて確認してみると、以下のような特徴が当てはまる。
1、多摩地域の地理を熟知している。
2、自動車の運転に相当慣れていて、構造にも詳しい。
3、情報通である。
4、細かい作業を厭わない、「趣味人」である。
5、平日日中にまとまった時間を確保できる。
このような条件を同時に満たしうる職業とは何かを、次回で考えたい。
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