モンスターペアレント、人呼んで「モンペ」。
学校に対して理不尽な要求をする保護者のこと。
「入学式に桜が咲いていない」
「携帯を没収するなら、その間の基本料を払え」
「運動会で1等になれるよう、速い子と走らせるな」
枚挙にいとま無し、「トンデモクレーム」の数々。
思えば「教育の荒廃」が叫ばれた時代もあった。
その「時代の振り子」が大きく逆に振れている。
あの頃は「モンスターティーチャー」だった。
![80年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop1.jpg)
たむろ
今ではすっかり影を潜めた○ンコ座り。
怪獣の世代交代
1980年代、所謂「ツッパリ」や「校内暴力」、街では「暴走族」が全盛期でした。
「3年B組金八先生」は、1979年から始まった人気シリーズですが、
当時の学校教育を巡る世間の関心の高さを受けて、「学園ドラマ」の金字塔を築いています。
このドラマでも描かれていたように、当時の学校教育は「腐ったミカンの方程式」のように、
大人の都合ばかりが卓越して、特に「義務教育」の現場では、
一体誰が「権利者」なのか訳が解らない有様であったと思います。
本記事中の写真は、何れも「ウィキまとめ」から引用させて頂いておりますが、
この年代の少年達は今、50代を迎えているはずです。
もはや「モンペ世代」すら卒業していることでしょう。
![80年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop2.jpg)
80年代のツッパリ
顔はまだ幼いのに、背伸びしたい年頃。
彼らの姿を見て、懐かしさとともに一種の滑稽さや、微笑ましささえ覚えるのは、
「それはそれで青春だった」ということではないでしょうか。
「なめ猫」がブームになったのも80年代初頭の事でしたが、
どんなにツッパッてみても、所詮最後には、大人達の狡猾さに屈服させられていたわけですから、
あの頃は「モンスター・ティーチャー」が猛威を振るっていた時代だったと言えそうです。
私も自分の中学生時代を思い返せば、親は相手が「学校教師」というだけで、
盲目的な信頼を「丸投げ」にして、その結果「子供は学校の人質」という、
なんともやるせない図式が醸成されていたように思います。
一方学校はこれに乗じて、「生徒不在の生徒手帳」や、
「中学生不在の中学生らしさ」などというモノが、大きな顔をしてふんぞり返っていたものです。
![80年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop3.jpg)
卒業写真
虚勢を張るのもこれが最後、だから精一杯。
なにより許せなかったのが、「小学校のいい加減さ」です。
学校教員に反抗する術など何一つ持たない小学生に対して、
「ことなかれ主義」、「ご都合主義」に塗り固められた教育を、臆面もなく貫き通して、
卒業間際には規範意識を肥大化させた児童が、年齢不相応な「立派な態度」で卒業式に臨み、
その肥大化した規範意識のバブルが、中学入学後に次々と崩壊。
本来味わう必要の無い挫折感のせいで、彼らの頭髪はたちまちリーゼントやパンチパーマとなり、
女子生徒のスカートの丈は地面すれすれまで伸ばされていったのです。
![80年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop4.jpg)
礼参り
卒業式が終わったら、これも教師の通過儀礼?
しかし、そんな彼らはその後決して「モンペ」にはなりませんでした。
ずるい大人達に、皆で「反抗する時代」を過ごすことが出来たからではないでしょうか?
実は本当に深刻な「教育の荒廃」はこの次の世代に襲い掛かっていたのです。
私は既に大学を卒業して、社会人になっていた頃ですから、
他人事としてしか捉えていませんでしたが、新聞や週刊誌で報道される「学校の実態」を視て、
「さもありなん」と思っていました。
校則で長さをミリ単位に定められた頭髪、
「歩くときの姿勢や足の上げ方」を定めたイラスト付きの生徒手帳。
暴走族は事実上壊滅させられ、ツッパリ生徒の存在を許さない「管理教育」のモンスターが、
大人への階段を登ろうとしている少年、少女達の顔から「感情」を奪い去りました。
彼らは義務教育において法律上は権利者でも、制度上は義務者でしかなくなりました。
ひたすら「学校の教育業務」に協力する立場を強いられたと言って過言ではありません。
こうした「管理教育」が、どんな優秀な若者を育てたか、次に私の体験を書きます。
![80年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop5.gif)
暴走族
現代の「モンペ」と、どちらが「社会悪」か?
自己不在、他者不在、常識不在
私が団地住まいだった時、建物の入り口やエレベーター付近に、
食べ残しのカップラーメンが放置してあったり、唾で床がベトベトになるほど汚されていたり、
居住者以外の少年達の仕業であることが判っていたので、
ある日「現行犯」を見つけて注意したところ、
「カンケーねーだろ」という返事が返って来ました。
「俺はこの団地の住人だ、カンケーねーのはどっちだ!」と怒ると、無言で立ち去って行きました。
彼らこそが世代としては「モンペ」に当てはまります。
「言葉が通じない、当たり前の理屈が通じない!」。
危機感を覚えた私は、近隣の住人とも協議して、
「無断で立ち入っていただけでも通報しましょう」と示し合わせました。
そうまでしないと、「他人の立場」というものを尊重しない世代。
それが時系列で申し上げれば「モンスター・ペアレント」に相当するのです。
なんのことはない、今学校を苦しめているのは、20年、30年前の学校教育です。
皮肉なことに「モンペ」によって、鬱病になるほど苦しめられている教員達は、
その「モンペ」と同世代かそれ以下の世代。
「真犯人」の世代は、もう定年になって左団扇の余生を楽しんでいるのでしょうか。
![801年代のツッパリ](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop6.jpg)
一番左の人物は、島田紳助さん?
映画のワンシーンでした。
たしか金八先生シリーズの最後のスペシャル版だったでしょうか?
数学の乾先生が、金八先生を誘って一杯飲んでいたときのセリフが印象的でした。
「ツッパリの加藤優や山田麗子が居た頃が正直懐かしい、今の子供たちはのっぺらぼうで・・・」
その「のっぺらぼう」が「保護者」となって以下のようになりました。
先生 「○○くんが、石を投げて窓ガラスを割ったんです」
保護者 「石が当たったくらいで割れるガラスのほうが悪い、それに・・・、
子供が投げたくなるような石を校庭に放置していたのは、学校の責任だ!」
![80年代の学校給食](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/12/mop7.jpg)
みんなこれを食べて大きくなったのにね。
コメント