財閥が生んだ鉄路 南武線 五日市線 後編

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五日市線の前身である五日市鉄道は、
拝島-武蔵五日市の区間では、南武鉄道よりも早く
一足先に開業していました。
鉄道の経営が共に浅野財閥であったことから、
立川駅のホームを供用するため、青梅線とは別に
拝島までの線路が敷かれていたのです。
「武蔵岩井」の先で採掘された原料の岩石類を、
そのまま南武線で川崎まで運ぶことが出来たのです。

大神駅跡地案内看板

大神駅跡案内板の地図
少し見づらいが、五鉄の路線図。
航空写真の範囲を枠で示す。

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鉄路の面影 五鉄通り

中央線から青梅線・五日市線に直通する電車は、
立川駅を出発すると進行方向左側の支線に入って中央線をオーバークロスします。
その先にはかつての五日市鉄道、武蔵上ノ原駅がありました。
現在立川に「上ノ原」という地名はありませんが、
踏切だけは「上ノ原踏切」という名前で残っています。
五日市鉄道の廃線跡は、立川寄りでは宅地開発の影響で不鮮明ですが、
国道16号を挟む拝島寄りでは道路となって鮮明にその姿を残しています。
五日市鉄道に因んで「五鉄通り」と名付けられたメモリアル・ロードを、
航空写真と現地に訪ねてみました。

航空写真エリア①

五日市鉄道大神駅付近

昭和20年 国土地理院
八高線のクロスと大神駅を中心とした五日市鉄道、在りし日。

五鉄通り

平成20年 国土地理院
五鉄通り、お判り戴けるだろうか。

五日市鉄道大神駅跡

五日市鉄道 大神駅跡
台車は昭島駅から持って来たもので、ここを走っていたわけではない。

五日市鉄道大神駅跡

ベンチの前に踏切の警報機
静かな住宅街にちょっと不思議な光景

八高線と交差する部分に着目しますと、
「五鉄」が健在の頃は五鉄側でアンダークロスしていたため、
その部分は掘割になっていたようです。
現在は歩道となって八高線をくぐる地下道に整備されていました。
ちょうど「大神駅」のあった場所には駅名表示と鉄の台車が展示されていました。
付近は静かな住宅街ですが、
その周囲だけは何故か樹木が多く往時をしのばせる空気が漂っているようです。
真直ぐに伸びた道を眺めると、
昭和20年の写真に見る様に一面の田園風景の中を、
ガソリンカーがトコトコと走る姿が眼に浮かぶようです。
その道が国道16号と接する部分にも、
輪転機とレールの車止めが静かに時を見つめています。
16号の大型トラックがせわしなく駆け抜ける傍らで、目立たぬけれど
かつてここが鉄道用地であったことをさりげなく語っていました。
五鉄は更にここで分岐し、多摩川へと続く貨物線がありました。

航空写真エリア②

五日市鉄道拝島付近

昭和20年 国土地理院
南拝島から拝島へ、写真は南北を横に寝かせてある。

五鉄通り拝島付近

平成20年 国土地理院
拝島付近は歩道となって残る五鉄通り

武蔵田中駅跡

国道16号線脇でひっそりと佇む輪転機、横をせわしなく車が行き交う。

首都東京の基礎を築いた”セメントと砂利の道”

拝島駅へ向かう線路は、南拝島駅から緩やかなカーブを描いて北上。
五鉄通りは途中から拝島駅付近までは、歩行者専用となって残されています。
昭和19年太平洋戦争の影響を受けて、
南武鉄道、五日市鉄道は青梅鉄道と共に全て国有化されました。
特に立川-拝島間は、青梅線の線路が並行していることから廃止となり、
南武線から青梅線への直通バイパスだけを残して、線路も駅も全て撤去されたのです。
武蔵五日市駅の手前でも線路は分岐し、
「大久野」を経て日の出町の「武蔵岩井」まで線路が伸びていました。
昭和46年まで旅客営業していましたので、記憶に在る方も少なくないかと思います。
大正14年、当時増大していたセメント需要を満たすために開業した路線で、
工場を出発した貨物列車はそのまま五日市線に合流し、都心へと向かう事が出来ましたが、
旅客列車はポイントを過ぎていったん停車、
その後バックして武蔵五日市駅へと向かっていました。
その合流、分岐地点あたりはすっかり宅地化されて、
もう往時を偲ぶのは困難な様子です。

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