特急あずさ50周年 懐かしいあの日の中央線

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中央線に「特急あずさ」が誕生したのは昭和41年、
今からちょうど50年前の12月のことでした。
3億円事件より2年も先輩なのです。
まだ165系の「急行アルプス」がメインでしたが、
あずさの登場によって確かに何かが変わった。
通勤電車はともかく、高尾以西の中央線が、
ローカル線のイメージを払拭し、新宿-松本間は、
新幹線や、上野発の特急列車と並んで、
DISCOVER JAPAN の看板を背負って立つ、
国鉄の重要な観光資源のひとつとなったのです。

特急あずさ

八王子を発車した上りE351系スーパーあずさ

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8時ちょうどに旅出った青春

わたしは、わたしは、あなたから・・・
狩人の二人が体を左右に揺らしながら唄っていたのは、昭和52年のこと。
当時の181系電車の乗り心地を表現していたのでしょうか?
まさかとは思いますが、確かに新幹線をはじめ当時の長距離列車は特急も含めて、
酔っ払っているわけでもないのに、昼間から千鳥足にならざるを得ない車両ばかりでした。
そこへ行くと、両足を踏ん張って揺れに耐える狩人の歌唱スタイルは、
車掌さんなみのバランス感覚と云えます。

特急あずさ

高尾-西八王子間の踏切を行くE257系あずさ

しかし、私が初めて「あずさ」を目撃した時の驚きは今でも忘れられません。
確か夕方に近い時刻だったと記憶しますが、母から言いつかった買い物の帰り、
中央線を跨ぐ小さな陸橋、「内藤橋」で、妙な胸騒ぎを感じたのです。
これまで耳にしたことのない警笛の音が、遠くから聞こえたような気がしたのでした。
私は立ち止まって暫く線路の向う、音のした八王子方面を眺めていました。
そこへ現れたのが181系「あずさ」。
私は眼を疑いました、幼いころに絵本で良く見た「特急こだま」にそっくりだったからです。
当時はまだ食堂車も連結していましたから、
まさに絵本の「こだま」が地元中央線にもやって来たのだと、
大急ぎで帰宅し、母にそのことを話しました。
母は全く取り合ってくれませんでしたが、それが「こだま」ではなく、
「あずさ」と知ったのはそれからどのくらい経ってからだったか・・・。

特急あずさ

「タイムスリップ中央線」より
国立-国分寺間を走る181系あずさ

特急あずさ

上の写真と同じ場所で撮影したスーパーあずさ
アングルは正反対だが、周囲の風景の移り変わりに眼を見張る

珍しい写真があったので掲載しました。
上の写真は昭和46年撮影の「国立-国分寺間」です、西国分寺駅はまだありません。
列車の後方に見える橋は、まだ木造だった頃の「戸倉橋」です。
そして、下の写真は今から数年前にその戸倉橋から私が撮影したものです。
古い写真の方は、奥に見える森の辺りから撮ったのでしょうね、アングルは正反対です。
私は電車よりもむしろ、両者の「周囲の景観」の違いが大変興味深く感じます。
「隔世の感」と云ってしまえばそれまでですが、私にはつい昨日の事のように感じられるのです。

駅弁包装紙

クリックで拡大
ちょっと汚れがありますが、中央線辰野駅で昭和49年に販売されていた駅弁の包装紙

DISCOVER・JAPAN の頃

ついでにもっと珍しいモノが出て来ました。
ちょっと汚い写真です、保存状態は良くありませんが、
「DISCOVER・JAPAN」のロゴが入っていて、とても懐かしい感じがします。
中央線、辰野駅で購入したお弁当の包装紙です。
スタンプを良く視ると、薄くて判りずらいのですが、昭和49年のものです。
この時は「特急あずさ」ではなく、「急行アルプス」の車内で私自身が食べたと記憶しています。
この後国鉄は、累積赤字がかさんだためか、急行列車からヘッドマークを外してしまいました。
ヘンな「合理化」がまかり通っていました。
そして今日では「急行列車」そのものがほぼ全滅に近い形になっています。
急行から特急に格上げすることで、「合理的運賃値上げ」が行われたのです。

特急あずさ

古い時刻表のk里抜き
特急あずさの編成図

それから、古い時刻表の切り抜きも出て来ました。
表紙が無いので具体的にいつのものか不明ですが、あずさの食堂車は「営業休止」と書かれています。
古き佳き旅情が失われつつあった時代のものです。
でも、300円でお弁当が買えたんですねえ。(#^^#)

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