エックス山以外にも雑木林は沢山ありました。
近年、昔よく遊んだ雑木林「バケヤマ」を訪ねてみたことがあります。
その「バケヤマ」も保存緑地になっていました。
あまり手入れされ過ぎると
驚いたのはそのスカスカぶりです、きちんと手入れされ間伐もされたせいなのでしょうか?
当時の面影はとんと無くなっていました。
エックス山もそうでしたが、当時の雑木林は一歩足を踏み入れると、
たちまち足元にツルが絡まって、前進するのは結構大変でした。
何より、昼間でも陽光が入らないため薄暗く、視程はせいぜい5メートル前後だったと思います。
現在のバケヤマはその透明度の良さという点で、当時のものとは明らかに別物でした。
エックス山を振り返ると、付近の人口増加と共に確かに「入りやすい山」に変化していったように思います。
私が小学校低学年の頃は、エックス山で遊ぶと先生から「危険だからダメ」と云われたように記憶しますが、
高学年になった頃には、逆に理科の授業でエックス山に野草の観察に行くことが多くなりました。
何のことはありません、授業とは名ばかりで今で云うガーデニングが趣味だった理科の先生が、
「実益」を兼ねてエックス山に出入りしていただけなのです。
盗まれるモノは無く 新鮮な発見すら
当時は「盗掘」という概念は無く、
策も無い野放しの場所に勝手に咲いている花は「誰のものでも無かった」のです。
エックス山が保全林として守られているのは、そこに咲く貴重な植物を保護する目的もあるようですが、
皮肉なことに時を遡れば、「盗掘者のルーツ」は意外にも地元第五小学校の理科の先生だったのです。
なにしろ、スコップとビニール袋を手にゾロゾロと私達を連れてエックス山に入っては、根こそぎという感じでした。
雑木林も、モラルの概念も時と共に変わります。
私は個人情報云々など、あまりにうるさくなり過ぎた昨今は、
「うつ病社会」などとも云われて、あまり好ましいこととは思いません。
モラルもほどほどというのが「人にやさしい社会」なのではないかとと・・・。
昭和から平成へと時の流れと共に、国分寺という町が何を得て何を失って来たのか、
私の出身校である国分寺第五小学校の校歌にそのヒントを見つけることができます。
次回はそのことについてお話します。
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