校歌に見る国分寺の変遷

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「緑の森に囲まれて 白い校舎に旗高く」
この光景を眺めて最初に腰を抜かしたのは、周辺の大人たちでした。
何もない野っ原に忽然と現れた鉄筋コンクリートの建造物は、
あたりの風景に似合わぬ異様な姿に見えたのです。
そんな様子が国分寺第五小学校校歌の歌い出しに表現されています。

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未来予想図の出現

校旗などを掲揚するポールは現在校庭に置かれていると思いますが、

開校から暫くは屋上に設置されていました。

その様子もあまりに「威風堂々」とし過ぎていて、

何やら滑稽な印象さえ与えていたようです。

何より当時の大人たちが首を傾げていたのは、

「こんな立派な校舎を満たすほどの子供が一体どこに居るのだろう?」

ということに尽きると思います。

子供は森には住んでいないのです。

そんな矛盾を校歌から読み取れる人は、現五小教員の中にも居ないはずです。

第五小学校は国分寺が市政施行される前年に開校しています。

その時はまだ町立小学校だったんですね、

昭和41年撮影 国土地理院 開校から3年目の様子 これでも住宅建設は進んで来た方です

昭和41年撮影 国土地理院
開校から3年目の様子 これでも住宅建設は進んで来た方です

隣接する自治体の中では、市制施行が遅れていた国分寺の焦りが垣間見える気がします。

学校というインフラを先に整備することで、都心や地方からの転入を促す政策だったことは、

当時の町民たちにとっては、いまひとつ実感が薄かったということでしょう。

しかし、学校が建設されたことで上水道というもうひとつのインフラが整備され、

周辺住民もそれまでの「井戸の水汲み」という労働からは解放されました。

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく

どこの校歌でも似たようなものとは思いますが、校歌にはそこに通う児童生徒達の姿が、

生き生きとした一人称で表現されることは少ないように想えます。

第五小学校の校歌は特に、周囲の景色と校舎とのコントラストを歌い込んで、

最後に「歴史豊かな国分寺」で結ばれます。

「豊か」に思えたのは「歴史」だけ、という当時の本音が見て取れます。

帽子や胸にせんだんのエンブレムを付けて登校する小学生の姿には、顔がありません。

創立時にはそれも含めて、全ては「未来の完成予想図」に過ぎなかったのでしょう。。

私が入学した時の校舎は最も東側の小さな区画だけでしたが、数年後にはもう増築が間に合わず、

入りきれない児童のため、仮設のプレハブ校舎が校庭の約半分を占領していました。

私の卒業前には第九小学校が開校し、やっとのことで校庭が開放されたのです。

それほどの速さでこの町は変わって行きました。

昭和47年刊行の学校文集「みどりの森」の中で、当時の学校長が次のように述べています。

「五小は街の中にあるのに、周りは緑で囲まれています。(中略)

しかし武蔵野西線が出来、西国分寺駅が作られ、このあたりが新宿のように賑やかになった時、

学校の近くがこのままであるだろうかと考えると心配です。」

ここで既に自己矛盾が発生しています。

緑の森に囲まれた小学校は、それを失うために建設されたようなものなのです。

平成20年撮影 国土地理院

平成20年撮影 国土地理院

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