もうひとつの”多摩蘭坂” 国立 国分寺

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多摩蘭坂から一本北西側に、應善寺坂があります。
車があまり通らない、静かな坂道です。
私にとっては、多摩蘭坂よりもむしろこちらの方に、
幼い頃の思い出が沢山凝縮されています。
それらをひとつひとつを記事に書いたところで、
読者の皆さんに通じるものは何もありませんが、
不思議と坂道の近くというのは、開発しづらいせいか、
昔の面影をより多く残しているように思います。
それにしては、本家「多摩蘭坂」は随分変わってしまった。

應善寺坂

應善寺坂
母と行来した、幼き日々を思い出す。

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坂のある町 昔通りの路と公園

「應善寺坂」と呼ぶ人は現在居るのかどうか判りません。
坂道の名前を記したものが、昔からあった訳ではありませんが、
坂の下を少し行ったところにあるお寺の名前を取ったものです。
因みにもうひとつ北側の坂道は、「大宣寺坂」です、こちらは坂の上にあるお寺ですが、
良く考えてみますと、国立市が市街地開発されたのは大正末期以降です。
それまでは、延々と広がる雑木林であったはず、でも近くにお寺が二つもあるんですね。
それもそのはず、このあたりの寺院は、関東大震災の惨禍から逃れて、
都内からこの地に移転して来たのです。
あっ、そうそう、この坂の下には「鳩の湯」もあります、国立で最後の銭湯です。

ボンコ園

ボンコ園
トーテムポールを模した門柱は、50年近く前のまま

ボンコ園

ハケの斜面を利用した児童遊園
50年前の記憶が蘇る。

ボンコ園

こんな遊具は、多分昔は無かったと思う。

應善寺坂の途中に、「ボンコ園」という児童遊園があります、
東児童公園というのが正式な名称であるようですが、
私の知る限りこの近辺で、昭和の時代からそのまま残っている遊園地はここと、
以前の記事で御紹介した黒鐘公園の二か所だけになりました。
以前にはもっと沢山あったのですが、「少子高齢化」の波を待つことなく、
大部分はとっくの昔に宅地化されています。
児童遊園というと、老朽化した遊具が危険であるとか、痴漢など犯罪の温床になるとか、
大人の論理で辻褄合わせをすれば、「カネを生まずリスクを生む」だけの存在となります。
かくして「こんなに広い場所はいらないよね」と、次々潰していったのでしょう。
即ち大人が子供の日常に責任を持たなくなったということでもあります。
そんな中で、生き残ったボンコ園、国分寺崖線の地形を生かした珍しいタイプの児童遊園です。
あの黒鐘公園も同じでした、斜面を登ったり駆け下りたり、
暗くなるまで夢中になって遊んでいた頃が思い出されます。
崖線(ハケ)が今まで残しておいてくれた、子供時代の思い出です。

ボンコ園

しゃがんで「子供目線」で眺めてみたボンコ園

應善寺坂

胸突き八丁の應善寺坂
子供の頃は、空まで続いているように感じていた。

應善寺坂

胸突き八丁を登り切ったところに、誰が置いたのか?
やっぱりこの辺ではいちばんキツい坂なのでしょう。

應善寺坂

坂の途中にある、市境を示す標識

その坂を、人生に例えれば

多摩蘭坂は長いだらだら坂なのに対して、應善寺坂は胸突き八丁の急坂です。
途中のカーブより上が、特にキツい坂になっています。
頂上付近の最も傾斜の大きい部分が、もうひとつの”たまらん坂”と呼ぶに相応しい感じです。

坂の途中に国立市と国分寺市の境界があります、坂の上が国分寺、下が国立です。
以前は気にしたことなどありませんでしたが、道路にその境界線がクッキリと現れていました。
アスファルトに継ぎ目があります、行政管轄が違うので、当然道路管理も別々だからでしょう。
当たり前のこととは言え、こんなところにも細やかな「行政の溝」が作られていました。

應善寺坂

境界を示す礎石に向かって伸びる線、白線の太さもちょっと違う感じが。
こんなところにも「行政の溝」がくっきりと。

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