「今朝夢を見た、小学校の途中で転校していった友人と、
下河原線の貨物列車を眺めている夢を。
芝生に座ってボンヤリと、通り過ぎる列車を眺めていた。
あの芝生は何処だったのだろう? 現存していただろうか?」
2chにもこんな書き込みがあったんですね。
「昔の国分寺を語るスレ」は2chの中でも、
かなり上品なスレッドであったことは間違いないようです。
国分寺 あの日、あの頃
ジュースの噴水自販機に、渡辺ジュースのもと…。
昭和30年代後半から、40年代にかけての懐かしい話です。
私は主に立川駅前の中武デパート(現 FROM CHUBU)の前で、
父に買って貰いました。
紙コップを握り潰して、中身を殆ど溢してしまい、よく怒られたものです。
「渡辺ジュースのもと」は小学生の頃だったか、夏休みにはいつもコレ。
舌がオレンジ色になるやつですね、そしてあの味も…。
なんとも懐かしく思い出されます。
![](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2018/10/p01.jpg)
ネットで拾いました。
まあ、このくらいは勘弁して下さい。
4小出身なんでしょうか? 黒鐘公園からは良く眺めることができました。
今は武蔵野線となって、JR貨物の最新鋭機関車がすっ飛んで行きますが、
「あの頃」は、ディーゼル機関車が、短い編成の貨物列車を引いて、
トコトコという感じで、実にのんびりとした風情でした。
転校を最後に、会えなくなって幾年月。
夢の中で何十年ぶりかの再会、驚いて飛び起きてしまったんですね。
少年時代を思い出させてくれる下河原線。
国分寺と府中の大切な記憶です。
スーパーいまい…、懐かしすぎます。
幼少期に、母に連れられて「おつかい」に行ったのが、この「スーパーいまい」。
スーパーマーケットとしては、早い時期に閉店してしまい、
その後暫くは、酒類専門店(リカーショップ)として営業していたと思います。
昔は近くにお風呂屋さんがあって、我が家の風呂釜が故障したときは、
家族でお風呂に入りに行きました。
現在は、多喜窪通りの拡幅によって、「道路」になっています。
多摩蘭坂は、そもそも「たまらん坂」
当ブログをはじめからお読みいただくと分かる通り、
「多摩蘭坂」は昔から「多摩蘭坂」の標柱がありました。
「たまらん坂」と平仮名化したのが忌野清志郎、というのが妥当と思われます。
しかし更に時代を遡り、大正から昭和初期にかけて、まだ国立駅がなかった頃、
当時の商科大学(現一橋大学)の学生たちが、国分寺の終列車に間に合わすべく、
この坂を「たまらん、たまらん」と云って登っていったと言い伝えられ、
そもそもは「たまらん坂」が正解であった、という説が有力です。
![](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2018/10/p02.jpg)
昭和30年代か、もっと前の「多摩蘭坂」です。
国立は当時水はけが悪く、ひと雨降ると坂の下はこの通りでした。
「おっさんち」は既に記事で紹介済。
で、「加藤のおっさん」というのは? もしかして5小の前にあった文具店?
私が小学生の頃は、おっさんというよりアンチャンという感じで、
夏の盆踊りでは、やぐらに登って太鼓を叩いてました。
一升瓶をラッパ飲みしながら、その太鼓の上手い事上手い事。
今はマンションになってますね、勿論加藤さん所有でしょうけど。
何年か前、その前で加藤さんの息子さんと思しき方をお見かけました。
「クリソツ」の一語に尽きます、血は争えませんな。
また「鈴木牧場」の跡取りと当方とは同級生にあたります。
彼は牧畜だけでなく、畑で野菜も作っています。
ある時、彼の軽トラと偶然でくわし、道端で話をしていました。
「キャベツが安くて商売にならん」と御機嫌斜めでしたが、
元気にしているだろうか? あいつ。
(ヤオコー 立川若葉町店に彼の写真パネルが飾られています。)
ついに出たか… とらや。
正式には「虎屋」だったと思いますが、これまた小学生の頃です。
十円玉を握りしめて、夏はアイスクリーム。
その他の季節には、菓子パンなど、当方毎日おやつを調達していたお店です。
先日何十年振りかで、虎屋の前を通りました。
シャッターを閉じてもう何十年、という佇まいに、時の流れを感じました。
都道「府中 国分寺線」が開通して、町の姿は一変。
もう当時の面影を探るには、裏へ回り込まなければなりません。
国分寺ALWAIS、毎日ここで生きていた。
確かにあの頃生きていた。
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