三億円事件の五十年 vol10 The longest day.

昭和四十三年十二月十日、午前九時前、篠突く雨。
電信柱の陰から、日本信託銀行国分寺支店の様子をじっと覗う男が居た。
傘など始めから持参していない。
黒のレインコートも、本来「白バイ警官の服装」を隠すためのものだった。
人相を誤魔化すために、それまで被ったことの無いハンチング帽も準備した。
銀行の通用口から銀色のジェラルミンケースが運び出されて来た。
犯人の人生で、最も長い一日が始まった。

真っ先に向かった先は

裕二(犯人)の足取りが確認されているのは、犯行開始からの30分だけである。
この間は報道、映画、TVドラマが詳細に再現しているし、拙ブログのvol4でも扱った。

12月10日は「3億円強奪事件」発生の日である。 強奪と言っても、決して強盗ではなかった。 現金を奪うに当たって、暴力に訴えることなく、 脅...

よって愚かにもここで繰り返し記述することはしない。
重要なのは「多摩五郎」が最後に目撃された、国分寺市東元町三丁目より後の足取りである。

上の航空写真に彼の逃走ルートを推定した。
彼が多摩五郎で真っ先に向かったのは、
彼が少年時代を過ごした「東京サレジオ学園」である。
東元町三丁目交差点から走り慣れた道でもあり、10分弱で到着できただろう。
学園構内の礼拝堂に多摩五郎を横付けにして、手筈通り現金をチャペル内に運び込んだ。
「重たい…」。 国分寺跡で輸送車から移し替えた時は、緊張の為か重量を感じなかったが、
裕二は何度かジェラルミンケースを持ち直さねばならなかった。
この時ケースに幾らかの土塊が付着し、それが後日警察の鑑定にかけられたのだが…。

ジェラルミンケースに付着していた泥から、 犯人のアジトは国分寺市恋ヶ窪周辺であると、 徹底したローラー作戦が展開されたが、 警察はその後アジ...

三つ目のケースを運び込んだ時、裕二は神父に言った、
「済みません、車を目撃されました、急いで隠したいのですが」。
「ここは我々に任せて、早く行きなさい」。
国分寺跡から東元町三丁目に向かうT字路で、軽トラックと接触事故を起こす寸前だった。
小金井本町団地のいつもの駐車場で、裕二は手早くシートで多摩五郎を隠蔽すると、
横に停めておいた自前の白いカローラに乗り換え、サレジオ学園へ取って返した。
礼拝堂では神父の他、数名のスタッフが顔面蒼白で裕二を出迎えた。
「裕二、手違いがありました」。

想定外

礼拝堂の床に並べられた3個のジェラルミンケース。
蓋が開けられ中身が露出していた。 「これは…? 」 裕二は絶句した。
銀行の帯封が巻かれた新品の札束がびっしり、と誰もが想像していたのだが…。
しかし実際には、現金はボーナス支給用に人数分の茶封筒に小分けされていたのである。
「想定外です、これでは抜き取り作業に時間が掛かります、ここでは出来ません」。
神父は冷静な表情でこう続けた。
「すぐに現金を安全な場所へ移送する必要があります、なるべく遠い所が良いでしょう」。
「裕二、ここから先は我々に任せなさい、君は追手が来ないうちに急いで宮崎へ」。

「分かりました神父さん、じゃあ、私はこれで失礼します」。
「あっそれから、もうこれで最後になるかも知れません、私の車お願いします」。
裕二は白いカローラと、多摩五郎のキーを神父に手渡し、深々と一礼した。

「それから済みませんが、着替えさせて下さい」。

神父の指示で、現金の入ったケースは「灰色のライトバン」に積まれて学園を出発した。
ところがこの後もう一度「想定外」に出くわすことになった。
青梅街道上り線、環七通りと交差する高円寺陸橋手前で検問が敷かれていたのである。
この時運転していたのは犯人の裕二ではなく、サレジオ会関係者である。
彼は意を決して検問を突破した。

灰色のライトバンには、後部に銀色のケースらしきものが積まれていたこと。
何よりも検問を突破したということは、事件と関わっているということである。
その後車は高円寺陸橋を左折、環七通りを北上、間もなく警察は彼を見失った。

青梅街道の検問突破は、「第5現場」と呼んでも良いくらいの場所である。
みすみす取り逃がしたばかりでなく、車のナンバーさえ控えられていなかった。
ナンバーが解っていれば、車の素性は自ずと明らかになったであろうに。
「環七より内側に入れるな」という作戦だったのであろうが、
「まさか本当に来るとは思わなかった」という程度の「ていたらく」だったのだろう。

位置的に見て車は環七を右折後、目黒区碑文谷のサレジオ会施設を目指していたと思われる。
しかし想定外に「追われる身」になってしまい、急遽行き先を変更した。
環七を右折ではなく左折し板橋方面に逃走、行き先は一箇所しかない。

憎しみ無き強盗

カトリック下井草教会
後方のマンション群は育英高専跡地に建設されたもの

現金を積んだライトバンが向かったのは、杉並区のカトリック下井草教会であった。
かつて「ドン・ボスコ社」の本部が置かれていた所でもある。
検問を突破した場所は9年前、あの殺人事件があった和田掘公園に近い。
そして下井草教会にはその当時、あのベルメルシュが勤務していた。
三億円の現金は、ひとまずここに運び込まれたのである。
「はじめからここにしておけば良かった」。 神父は後悔していた。
下井草教会ならば、青梅街道から千川通りを経て、環八を超えればすぐに辿り着けたし、
検問に掛かることも無かっただろう。
直線的に「犯行現場」から少しでも遠くへと、目黒教会を選んだのが間違いだった。
下井草教会の隣は、サレジオ会が運営する育英工業高等専門学校である。
サレジオ会所属の教職員や、事務職員など多数の「人手」もある。
年末でもあり、休日は学生達の姿も無く、じっくりと作業を行える広いスペースもある。
ここで現金の整理が行われた。

2億9430万7500円 「ニクシミナキ ゴウトウ」

裕二が東村山の家主宅を訪れ、借家の鍵を返却したのは、正午を過ぎた頃だった。
「裕二さん、今日は朝から大変な事件が起こりましたね」。
「事件? 済みません、荷物を片付けてしまって、テレビもラジオも無いものですから」。
「三億円の大金が、府中で盗まれたそうです」。
「えっ、三億円… 」。
裕二は自分が奪った金額を、この時初めて知ったのであった。

「ところで裕二さん、これからどちらへ?」
「ええ、同僚のタクシー仲間と、小金井に新たな借家を借りました」。
「年が明けたら一緒に個人タクシーの開業準備を始めます、
独りでは何かと心細いものですから」。
「なるほど、あそこは二人で住むには少し狭いですからね、じゃあ、どうぞお元気で」。
警察は東村山のアジトを嗅ぎつけてはいない、
そう確信していたため裕二の心には余裕があった。
しかし三億円という金額を聞かされて、若干の動揺も禁じ得なかった。

裕二は東京発の寝台特急「富士」に乗って、宮崎を目指していた。
寝台列車の毛布に包まりながら「三億円」の意味について自問自答していた。
「1億くらいはあるだろうと思っていたが、まさかその3倍とは… 」。
「サレジオ会は戦災孤児の俺に、無償で衣食住を与えてくれた」。
「サレジオ会が無かったら、俺は今こうして生きてはいないだろう」。
「その恩に比べたら、三億円など俺にとっては端下金だ」。
前日から緊張の為ほぼ一睡もしておらず、裕二は心身共に疲労の限界に達しつつあった。
裕二は何時の間にか深い眠りに落ちていた。

この記事は全て筆者による想像であり、登場する団体を中傷誹謗する意図はありません。

自分は悪人であると自覚する人は、どちらかというと善人だ。 厄介なのは、加害者のくせに被害者の顔をして生きている輩だ。 その善人ヅラで、他人だけでなく自分自身をも欺いている連中だ。
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