若者の町から、住んでみたい町へ。
時と共にその表情を微妙に変えて来た吉祥寺。
駅周辺には学生でも気軽に入れる居酒屋。
少し歩けば井之頭公園に閑静な住宅街。
新宿まで中央線で15分程の近さは、
都会でもなく田舎でもなく、中間的な程良さか。
通り過ぎて来た 青春のかけらが
1975年から76年にかけて、日本TV系で放送されたドラマ「俺たちの旅」は、
主に吉祥寺をロケ地として制作されていました。
特に井之頭公園はしばしば劇中に登場していました。
井之頭線のガード下へ行くと、
今にも中村雅俊演じる「カースケ」が下駄履きで駆け出して来そうです。
私は確か高校生になったばかりの頃で、
このドラマに自分の近未来を重ねていたように思います。
田中健、秋野太作(津坂まさあき)らが演じる仲間のアパートで、
昼間から瓶ビールの栓を抜いては、「まあ、飲みながら話そうや」と、
こんな学生生活に憧れていたようです。
それにしてもこのキャスト達の演技力には本当に感心させられます。
現代では「ダサい」と評するのが一般的な「青春の葛藤」を、
面白おかしく、時に切なく表現していました。
思えば若者が現実の社会にシラけて、
大人になってゆくことへのレジスタンスが「青春ドラマ」というものでした。
現在ではドラマはおろか、「青春」という言葉そのものが、
死語になりつつあるようにすら思えます。
背中の夢に 浮かぶ小舟に
「それってダセーよな」と、他人を見下しているうちに、
生きることへの真剣さを見失ったのだと思います。
「愚直」というほど肩ひじ張らずとも、たかが他人のために「まあ、飲みながら話そう」と、
真剣になってやれる優しさが、昭和の時代にはありました。
吉祥寺にその面影を求めるなら、井之頭公園は良い散歩道になるでしょう。
「俺たちの旅」で使用された楽曲は、
私が当時からファンであった小椋佳さんの作品がメインでした。
小椋さん独特の斬新な歌詞に、結構刺激を受けていたものです。
ちなみに、私のハンドルネーム「古木佳」は「古き佳き」の駄洒落であり、
同時に「佳」は小椋さんのを勝手に拝借したものです。
YouTube で「俺たちの旅オープニング」の動画を見付けました。
さて話は逸れますが、「吉祥寺はどちらの方向ですか?」と、
吉祥寺駅の駅員さんが良く尋ねられるそうです。
武蔵野市に「吉祥寺」というお寺はありません。
文京区本駒込3丁目にある「吉祥寺」こそが、由来となったお寺です。
元々水道橋付近にあったらしいのですが、江戸時代に「明暦の大火」で門前町ごと焼失。
当時の防災対策により、焼け跡に再び建築することは許されず、
幕府令でお寺は駒込へ、門前の住民は武蔵野の荒地へ集団移転したのだそうです。
当時は狐や狸が出没する荒野を懸命に開墾し、「吉祥寺村」と名付けたのだそうです。
コメント
私は 筆者さまよりも 一世代若い部類です。 子供のときにこのテレビの再放送を見た記憶があり、 なんとなく都会の大学生はいいなあ。なんてあこがれたものです。
私の記憶では、都会と違い私の住む田舎はまだ貧しかったです。 テレビに映し出される町並み、公園 そして アパートや食堂の風景。 とても新鮮でした。 東京とはあのテレビの中のような場所なんだとおもっていました。 いつの間にか自分もカースケ オメダ ワカメのような大学生の世代を通りすぎ、 仕事 恋愛 そして 生活と、、気がつけば、 俺たちの旅ではなく 私に旅も 後半残り少なくなってきました。 自分がこれから人生の「旅」に出港する前は 無我夢中で、 ドラマを見た記憶も どやって人生をつくるのも 全くと言っていいほど見えてませんでした。
あの頃に、 少しでも立ち止まり、 このドラマを見る余裕があれば、 自分の人生も少しは違っていたかな、と思うこともあります。
あの頃に気が付かなかった、 「俺たちの旅」。 自分に照らし合わせても、その日を生きるのが精一杯です。そして、目先の未来をおいかけて、 日々の雑用に追われ、
気が付くと ドラマから45年が過ぎて、
いろんなサイトをみて、撮影現場のあの頃と今を比較して時の流れを感じています。
景色 人 そして 取り巻く時代はかわり、 当時の俳優も多くは亡くなり、主役も60後半。
我々一人一人の人生の旅、 それが 俺たちの旅なのかな
映像とコメントありがとう