”帰れない二人”は何処へ キヨシロー少年の行方を追って

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キヨシローの母校である国分寺市立第2小学校から、
市役所通りへ続く細い一本道。
キヨシロー少年が日々通学路としていた道を、
私も久しぶりに歩いてみました。
密集した住宅街に挟まれて、
随分変わってしまったなあと、
しかし、或ることに気付きました。
私も少年時代、この道を自転車で通るたびに、
他の場所とは違う独特の「癒し」のようなものを感じていました。

国分寺市立第2小学校

キヨシロー少年の母校 国分寺市立第2小学校
元々は「満福寺」が運営する寺子屋分教場だったと言われる、歴史ある学校なんです。

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思ったよりも夜露は冷たく

2014年の11月、東京国際フォーラムでの井上陽水さんのステージは、
私たちの年代にとっては特別感慨深いものがありました。
あのヒットアルバム「氷の世界」がライブで再現されると聞いて、
私は迷わずチケットを購入した口です。
アルバムに収録された曲順に、陽水さんの解説付きという贅沢な演出に、
時の経つのも忘れステージにかじり付いていました。
アルバムではたしか2曲目だった「帰れない二人」。
忌野清志郎という名前を初めて知ったのがこのときでした。
随分変わった名前だなあと、初めは読み方すら良く解らなかったのですが・・・。
ともあれ私にとって「帰れない二人」は、アルバムの中で直に「名曲」扱いとなりました。
後にキヨシローが同郷の人物と知って愕然としたのは、
この楽曲のように「少年時代を想定した」と思われる歌詞についてでした。
あのとき、消えた街灯りは何処のものだろう?
帰れない二人は、何処からそれを眺めていたのだろう?
という、地元を知る者だからこそ沸いてくる興味でした。

平兵衛樹林地

夏にはカブトムシも沢山いたでしょう、カナブンや蛾はもっと沢山。
きっとキヨシロー少年の縄張りだったはずです。

平兵衛樹林地 児童公園

現在は小じんまりとした児童遊園になっていました。
以前はもっと広かったと思いますが。

もう星は帰ろうとしてる

「おい、もう帰るのかよ」と、
当時アルバムのサウンドプロデューサーを務めていた星勝氏に、
スタジオに残された陽水とキヨシローが、
「不満たらたらに文句を言っている様子」、が歌になったもの。
というのは私の勝手な解釈だったのですが、
楽曲の一部にはこのような駄洒落が混ざっていても不思議ではない、
そんなアーチスト達ですから。
でも全体としては「思春期の感情」をイメージしたものに相違ありますまい。
だとすれば、そのイメージの舞台はニューヨークやロサンゼルスではなく、
「国分寺」の何処かのハズです。
陽水とキヨシローの合作とされていながら、
実は殆どをキヨシローが独りで作ったと言われるこの楽曲。
ステージでも陽水さん自身これを認め、
「ボクが作ったのは Ah~ Ah~・・・のところだけ」と証言していました。
これでキマリです!
やっぱり「帰れない二人」はここから街灯りを見下ろしていたんだ。

高台の樹林 キヨシロー生家付近

ここだけが、昔の国分寺の匂いがするようです。
こんなところばかりだったのですが。

高台の樹林 キヨシロー生家付近

木立の背景に空が透けて見えるのは、ここが高台だから。

栗林 キヨシロー生家付近

この栗林は記憶にありません。
当時は無かったか、あってもまだほんの苗木だったのでしょう。

街は静かに眠りを続けて・・・

キヨシロー少年の通学路の途中、
一か所だけまだ当時の面影を留める場所がありました。
特に中央の写真に見る様に、森の木立の後ろは全面的に「空」が見えます。
ということは、そこは小高い丘の上。
即ち国分寺崖線のハケの上だったのです。
キヨシローが通っていた「みふじ幼稚園」の裏側へ廻ると、
国立へと下る急な坂道に出ます。
当時はまだもう少し左右の視界が開けていたでしょうから、
ここから国立市の街灯りが一望できたはずです。

キヨシロー少年の通学路

キヨシロー少年の通学路
当時はまだ住宅がまばらで、両サイドは畑、道路との境界には生垣替わりのお茶の木が植えられていたと記憶します。

キヨシロー少年の通った幼稚園

キヨシロー少年が通っていた「みふじ幼稚園」
私の幼馴染みも何人かここに通っていました。

キヨシロー少年生家付近

みふじ幼稚園裏の坂の上から
二人はここから国立市街を見下ろしていたのかも知れません。
しかし「自転車」もそこに住む人にとっては騒音源とは、もしや・・・。

余計な推測かも知れませんが、
中央線は国立駅付近の窪地に盛り土をして高い所を走っています。
ですから国分寺のハケの上から南口方面はあまり良く見通せなかったと思います。
ですから「消えた街灯り」の場所は比較的そこから近い場所ではないかと思うのです。
きっと鉄道総研(旧国鉄技研)あたりのものではないかと推測しています。

コメント

  1. 安田桂子 より:

    こんにちは。ブログを大変興味深く拝見させていただております。

    「帰れない二人」の歌詞が、キヨシローの実家あたりの光景をうたったもの、という説、とても興味深いです。

    毎年5月に、国立で清志郎さんファン交流イベントを開催しています。
    その中で、ゆかりの地をめぐって歩いているのですが、第6回目となる今年(5/3)は、“坂”をテーマに歩く予定です。

    「僕の自転車の後ろに乗りなよ」の“坂を下って”の坂は、どこの坂なのか…?

    歌詞に出てくる坂を切り口に、このあたりの地形的な特徴(国分寺崖線)のことを、
    全国から来るファンのみなさんにご案内できればと思っています。

    清志郎さんが国立・国分寺にいた頃(’50〜’70年頃)の、まちの風景や、歴史のことなど、地元ならではの情報を教えていただきたく存じます。
    よろしければ、ご連絡をいただけるとありがたいです。

    • tamaranzaka2016 より:

      安田様

      管理人です。
      せっかくコメント戴いてたのに、超亀レスで済みません。
      他にYouTubeとかも、色々やってるものですから・・・(^^;

      清志郎については多分私などより貴殿の方がお詳しいとは存じますが、
      5月の交流イベントは、私も何かで読んで存じておりました。
      「坂めぐり」ですか、行きたかったですね。
      国分寺界隈で私が思い出せることは、殆どブログ記事にしてあります。
      まだ書き足りていないのは「3億円事件」くらいでしょうか?
      今年の12月で丁度50年、物議をかもすかも知れませんが、
      思い切った「私見」を書こうかと・・・ どうしようかと思ってます。

      来年の交流イベントは何処を見ればわかるのでしょうか?
      サイトがあればURLを貼っていただけますと幸いです。

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