都知事選挙と多摩の未来

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東京がまた試練を迎えたようです。
暫くの間建設的な話題は、
大阪に偏っていたような感も否めず、
「2020年のオリンピックで一気に逆転」
と思っていたのに、
まさか2代連続の大ゴケとは。

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横田基地をわれらの手に!?

ここで、歴代の東京都知事選挙の争点を思い出してみることにしました。

4期続いた鈴木俊一都政の総仕上げは、都庁舎の新築と都市博覧会のハズでしたが、

「大理石の風呂」に象徴される、あまりに豪華すぎる庁舎に方々から批判が集中し、

それを追い風とした後任候補の故青島幸男氏が、無党派層の爆発的な支持を得て圧勝。

公約通り、台場近辺で行われる予定だった都市博は中止になりました。

しかし、青島知事はその後巨大な都庁舎の影に隠れて存在感を失い、

任期満了の選挙で、満を持したかのように当選したのが石原慎太郎氏でした。

この世紀末の都知事選によってはじめて「多摩」が選挙公約に名を連ねることとなったのです。

石原氏の選挙公約は主に、ディーゼル車の規制と首都銀行東京の設立、

そして横田基地の返還若しくは民間との共用というものでした。

始めのふたつは実現しました。

NOx・PM法の施行によって、私は当時お気に入りだったRV車を手放さざるを得なくなり、

この時ばかりは石原さんを恨んだりもしました。

「横田基地のあの件はどうなったのよ!」という思いもあったのだと思います。

しかし「多摩の街をこうする」と選挙公約したのは歴代知事の中で石原さんしかいません。

まさにミレニアムに相応しい公約だったのに、ハードルが高すぎましたか?

タマには多摩を争点に

確か石原知事4回目の選挙のときだったでしょうか、

私は偶然にも立川駅北口で街頭演説中の石原知事に遭遇したことがあります。

このとき石原さんは、

「私はね、この立川を日本のシリコンバレーにしたいと思ってるんです」

と云っていました。

そうですね、立川には基地返還後の未利用地が沢山残っていました。

いや、今でも残っています。

それなら法務省の施設などより、AppleやIntelやOracleがぞろぞろと来てくれた方が、

地元住民にとってはよほど誇らしいというか、「住みがいのある街」になったと思うのです。

何かやってくれそうな石原さんですので、密かに期待していたのですが、

どこでどう気が変わってしまったのか、

石原知事の最後のシゴトは「尖閣買収」でした。

「何で都民のカネで尖閣なの?」という我々小市民の声はもはや都庁には届かず、

結局時の民主党政権の抜け駆けによって、それすら叶わずに終わりました。

あたかも関西方面から聞こえてくる、威勢の良い叫び声に吸い寄せられるかのように、

石原さんは都知事を辞職してしまったのですが、

もうひとつの忘れてはならない選挙公約が、「東京オリンピック」。

これも言い出しっぺはやっぱり石原さんでしたね。

さて、その後の顛末については、ここに書く値打ちは全くありません。

そんなことより次こそ、いや次の次でも良いから、

「多摩の街をこうする」が争点の都知事選挙になって欲しいものです。

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