JR中央線の三鷹-立川間の高架化が終わったのが、
2010年の事でしたが、長い間分断されていた南北の町が、
とうとうひとつになって、多摩地域も新時代を迎えました。
「新時代」とは、「踏切で電車を待たずに済む時代」。
朝夕は狭い路地の踏切にさえ、長い車の列が出来て、
イライラと、ブレーキペダルを踏む足の疲れが当たり前。
自転車は渋滞する車への接触を避けるため、降りて通行。
これも当たり前の光景でした。
そして最後に残ったのは、やはり「西武新宿線」か・・・。
心霊スポットも今は昔
中央線の三鷹-立川間の高架化工事、随分長くかかっように思えます。
悪名高かった武蔵小金井の「小金井街道踏切」は、工事の影響で横断幅が倍になり、
歩行者が取り残される事態になって、大きな社会問題にもなりました。
その後専用の歩道橋とエレベーターが設置され、
いやはやとんでもない工事になったものだと、他人事ながら進捗を危惧していました。
しかし、出来上がってみるとそれまでの心労は何処へやら、
あれほど長々と繋がっていた渋滞の車列も人の列も綺麗さっぱり消え去り、
ひとっこひとり居ない高架下は、同じ場所とはとても思えません。
国立駅西側にあった「西五条踏切」は、人身事故の名所として全国的にも知られ、
更にその西側の「野沢踏切」の横には「お地蔵様」が祀られていました。
またこの付近の線路脇には、「遺族」が手向けたとみられる花束がしばしば見られました。
物騒な話になりましたが、これらの「心霊スポット」は高架化によって一掃されてしまいました。
稲川淳二さんももう中央線をネタにするのは難しいでしょう。
渋滞解消は鉄道の高架化だけで進められるものでもありません。
多摩地域は東京の中でも取り分け「南北道路」の整備が遅れています。
しかし、遅まきながらも幾つかの「都道計画線」が順次開通し始めています。
以前の記事で取り上げた「都道府中所沢線」が完成すれば、
渋滞の激しい府中街道のバイパス機能が発揮され、南北の交通は格段にスピードアップするはずです。
ところが、その府中街道を堂々と遮断しているのが「西武新宿線」です。
小川付近の拝島線踏切は先に解消されましたが、依然として新宿線は幹線道路をぶった切って、
立ち退く気配がありません。
そのときあなたは何歳に?
ところがです、東村山駅周辺を「駅ごと高架」にする工事が既に始まっていたのです。
しかしどうも一筋縄では行かぬようで、線路だけを持ち上げるにも長期間の工期を要するものが、
「駅ごと」となると流石にしんどいようです。
なにしろ跨線橋を無くさなければ、駅は持ち上がりません。
跨線橋を無くすためには、それに代わる地下道を先に造らねばなりません。
そのためには、線路とホームを横切って土留めの杭打ちをせねばなりません。
現在まさにその「土留め」処置が行われている最中です。
でも完成すれば駅の東西は通行がフリーになり、踏切は5か所で解消されます。
もちろん府中街道を横切る線路は無くなります。
では、それは一体いつ頃になるのでしょう?
東村山駅の近くで、気になる看板を見つけました。
「平成37年まで」、えっ、なんですって! あと10年も・・・。
東京オリンピックが終わって、その更に6年後ですか?
国立競技場よりも大変な工事なんですか?
これが本当に必要な工期だというのなら、もっともっと早く着工していなければいけません。
いくら何でも都民を待たせ過ぎです、小池さん、豊洲も問題ですが、東村山も大モンダイです。
コメント