ペットと暮らしていると、
毎日の食事だけでなく、散歩や運動が必要ですね。
季節によっては、シャワーに入れてあげたり、
毛が生え変わる頃は特に大変です、掃除が・・・。
自由気ままに旅行に行くこともままならず、
思えばかなり制約された生活を強いられます。
そして一番辛いのは、「最期の時」を迎えることです。
「してもらってばかりで、何もしてあげられず」と、
居なくなって初めて、その存在の大きさに気付かされます。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja2.jpg)
まだ新しいペットのお墓
飼い主さんの悲しみがお供え物に滲んでいる
共に生きた、家族だった
府中市浅間町の慈恵院は、「犬猫霊園」としては大正10年開園ということですから、
多分日本で初めての「動物専門墓地」ではないでしょうか。
細長いお寺の敷地内には、多数のお墓があることは普通の寺院となんら変わりはありません。
しかし、それらのお墓は全て「ペットのお墓」です。
家族同様に、一緒に暮らした日々が失われた、飼い主さんの悲しみと、
天国に召された動物たちへの愛情が、この敷地内に溢れています。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja3.jpg)
可愛らしいペットのお墓がたくさん
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja6.jpg)
かなり古そうな猫のお墓
よほど可愛がっていたのでしょう
実は私の愛犬もかつてこのお寺に眠っていました。
今は訳あって別の場所で眠っていますが、
私がまだ幼少の頃から成人するまで、共に日々を過ごしました。
私の二十歳の誕生日の翌日に、十三年間の生涯を終えました。
人間に換算すると七十歳を超えていたと、獣医師から聴いています。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja4.jpg)
千昌夫さん、ジョーン・シェパードさんの名前があります。
かなりの愛犬家だったのですね。
もう何十年も前のことですが、すでに就職していた姉は眼を真っ赤に腫らして出勤し、
父も名残惜しそうに、いつまでも亡骸に寄り添っていました。
大学生であった私と母の二人で、獣医師に教えてもらった慈恵院へ亡骸を運んで行きました。
段ボール箱に、庭に咲いていた花をありったけ詰めて、
ゆっくり眠れるようにと、母が徹夜で縫った布団に包んで、お寺の門を入りました。
受付を済ませると、供養の読経をした後、もうその日のうちに荼毘に付されることになりました。
「三日たてば、納骨も済んでいますから、どうぞご家族でお参りに来てあげてください」。
母とふたり、慈恵院から引き上げる際、大学生にもなった大の男が、
涙が止まらなくて、どうしようもありませんでした。
「ありがとう、ありがとう」と何度も何度も心に中で呟きました。
泣き虫だった少年時代の私を、毎日支えてくれて、ありがとう、と。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja7.jpg)
亡骸の入った段ボールを抱えて歩いた道。
読経の声が聞こえて来ます。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja1.jpg)
動物専用の火葬場
随分立派な建物になりました。
死別後もなお、癒される
数知れない想いが、慈恵院には溢れています。
在りし日の動物たちへの、これほどの愛情が満ちているのに、
私たちの人間社会はなんと世知辛いものなのか。
慈恵院では、動物の他に「水子供養」「人形供養」も行っています。
生まれることなく幽冥界へと旅出たざるを得なかった命。
幼い心に、慈しみを感じさせてくれた人形たちが、
その役割を終え、感謝の思いとともに、慈恵院で眠っています。
一方で今日も、乳幼児に対する虐待や、残忍な殺人事件が報道されています。
「慈愛」とは対極にある何かによって、
社会が歪められ、人心が荒んでゆくのを目の当たりにする日々ですが、
ここ慈恵院に来ると、誰もが安らぎを感じることが出来るはずです。
![府中 慈恵院](http://tamaranzaka.net/wp-content/uploads/2016/10/ja5.jpg)
人形供養の碑
動物だけではなく、感謝の気持ちは全てに向けられている。
コメント