ペットと暮らしていると、
毎日の食事だけでなく、散歩や運動が必要ですね。
季節によっては、シャワーに入れてあげたり、
毛が生え変わる頃は特に大変です、掃除が・・・。
自由気ままに旅行に行くこともままならず、
思えばかなり制約された生活を強いられます。
そして一番辛いのは、「最期の時」を迎えることです。
「してもらってばかりで、何もしてあげられず」と、
居なくなって初めて、その存在の大きさに気付かされます。
共に生きた、家族だった
府中市浅間町の慈恵院は、「犬猫霊園」としては大正10年開園ということですから、
多分日本で初めての「動物専門墓地」ではないでしょうか。
細長いお寺の敷地内には、多数のお墓があることは普通の寺院となんら変わりはありません。
しかし、それらのお墓は全て「ペットのお墓」です。
家族同様に、一緒に暮らした日々が失われた、飼い主さんの悲しみと、
天国に召された動物たちへの愛情が、この敷地内に溢れています。
実は私の愛犬もかつてこのお寺に眠っていました。
今は訳あって別の場所で眠っていますが、
私がまだ幼少の頃から成人するまで、共に日々を過ごしました。
私の二十歳の誕生日の翌日に、十三年間の生涯を終えました。
人間に換算すると七十歳を超えていたと、獣医師から聴いています。
もう何十年も前のことですが、すでに就職していた姉は眼を真っ赤に腫らして出勤し、
父も名残惜しそうに、いつまでも亡骸に寄り添っていました。
大学生であった私と母の二人で、獣医師に教えてもらった慈恵院へ亡骸を運んで行きました。
段ボール箱に、庭に咲いていた花をありったけ詰めて、
ゆっくり眠れるようにと、母が徹夜で縫った布団に包んで、お寺の門を入りました。
受付を済ませると、供養の読経をした後、もうその日のうちに荼毘に付されることになりました。
「三日たてば、納骨も済んでいますから、どうぞご家族でお参りに来てあげてください」。
母とふたり、慈恵院から引き上げる際、大学生にもなった大の男が、
涙が止まらなくて、どうしようもありませんでした。
「ありがとう、ありがとう」と何度も何度も心に中で呟きました。
泣き虫だった少年時代の私を、毎日支えてくれて、ありがとう、と。
死別後もなお、癒される
数知れない想いが、慈恵院には溢れています。
在りし日の動物たちへの、これほどの愛情が満ちているのに、
私たちの人間社会はなんと世知辛いものなのか。
慈恵院では、動物の他に「水子供養」「人形供養」も行っています。
生まれることなく幽冥界へと旅出たざるを得なかった命。
幼い心に、慈しみを感じさせてくれた人形たちが、
その役割を終え、感謝の思いとともに、慈恵院で眠っています。
一方で今日も、乳幼児に対する虐待や、残忍な殺人事件が報道されています。
「慈愛」とは対極にある何かによって、
社会が歪められ、人心が荒んでゆくのを目の当たりにする日々ですが、
ここ慈恵院に来ると、誰もが安らぎを感じることが出来るはずです。
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