当ブログで何度も御紹介していますが、
多摩地域には鉄道の廃線跡が沢山あります。
それらは公園や緑道として整備されていますが、
その中には旅客用ではなく、軍需施設のための
引込線であることがあり、中神や武蔵野競技場線
なども過去記事で取り上げて来ました。
今回は特に「軍需用」としては中心的存在である、
立川駅からの引き込み線を取り上げます。
戦争が遺した平穏の道
まだ国鉄時代ですが、立川駅から上り中央線に乗って向かって左側を眺めると、
貨物ヤードを過ぎたあたりから北東方向へ分岐してカーブする線路が見えました。
戦後暫く経っていましたから、既に使用されてはいなかったようで、
草が生い茂った低い土手の上に、錆びたレールが残っていたものと思います。
子供心に「あの線路は何処へ行っているのだろう?」と興味津々でしたが、
立川市内の自衛隊駐屯地を経て市北部を大きく回りながら、
立川飛行場内の整備工場へと延びていました。
今ではその殆どが緑道として整備されていて、気持ちの良い散歩道になっています。
北側の始点は多摩モノレール「泉体育館駅」の南約300m程の交差点に在って、
終点までのキロ数を示す矢印が途中いくつもあって、
ジョギングなどにも便利な仕掛けになっています。
両サイドが植え込みになっているのが、如何にも「緑道」と呼ぶに相応しい作りですが、
私などは逆にその植え込みの中に「鉄道の遺構」が埋没しているのではないかと、
気になって仕方がありませんでした。
暫く行くと緑道と交差する農道に枕木が敷き詰められているのを発見。
早くも「鉄道の遺構」に出会えて満足でした(#^^#)
この廃線跡は立川市、国分寺市、国立市の3市に跨っていて、
それぞれ「栄緑地」「西町緑地」「北町緑地」と名付けられています。
国分寺市に入ると、それまで左右に蛇行していた歩道が真直ぐになり、
いかにも「ここは昔線路だった」という雰囲気になります。
のどかな畑の横を真直ぐ南に延びています。
車が通る心配がないので、高齢の方や、車椅子の方が安心してマイペースの運動をしていました。
国立市に入ったところで、大きなアーチが架けられていました。
一目で「レール」と判るようなデザインが、「流石クニタチ」と思わせるものです。
大正から昭和初期にかけて、戦闘機のエンジンなどを載せた貨車が、
蒸気機関車に牽かれて通っていった道なんだと、
ここを訪れれば日本近代史の教科書よりも、よほど実感を以て感じられることでしょう。
時を経て、戦闘機の爆音は無く、穏やかな木漏れ日が注ぐ静かな遊歩道となり、
静かに過去を振り返る場所になっています。
立川に残る湘南江の島
この緑道の途中、「江の島道」と呼ばれる小路を通過します。
国土地理院の写真にも示しておきましたが、
現在も「江の島」の名が付く団地や保育園(解体済)があります。
俄かには信じ難いことですが、この「江の島道」とは神奈川県藤沢市の、
あの「江の島」に向かう古道なのだそうです。
江戸時代、東海道を行き来する旅人に人気の景勝地であった江の島。
ここ、立川の砂川宿からも参道が伸びていたわけです。
もっとも、この細い道がそのまま江の島に続いていたのではなく、
そちら方面へ行く人が皆利用したので、「江の島道」になったのですが、
地図を辿って延長すれば、なるほど旧甲州街道の谷保宿辺りに達するようです。
自衛隊駐屯地と、国立の市街地開発によって寸断され、
現在残っている「江の島道」はここ立川市幸町2丁目付近のみであるようです。
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