江戸時代に開拓者によって植林され、
昭和の時代に「エックス山」と名付けられ、
平成の世に保全林として大切に守られている雑木林。
そのユニークな名称は
一体誰によって付けられたのでしょう?
戦後教育のひとつの成果か?
因みにこの地域の人たちは昔から平地林のことを普通に「ヤマ」と呼んでいました。
この地を切り拓いた農民達の出身地である青梅や五日市の山林から苗木が持ち寄られ、
それが武蔵野の雑木林を形造ったものですから、
真平らな地形でも「ヤマ」と呼ぶことに抵抗はなかったのでしょう。
それでは「エックス」はどうか? こういう命名を抵抗無く出来る人物像を考えてみます。
戦前から戦中にかけて英語は敵国語として厳しく取り締まられていました。
そのため戦前生まれの人が名付けたとは考えられません。
しかし昭和三十年代前半には戦後の英語教育を受けていた人物であるはずですから、
終戦前後の1、2年の間に出生した人物ということになります。
更に地元にその呼び名が定着していることから、通りすがりの人ではなく、
命名者もまた地元に住んでいたと考えるのが自然です。
当時まだ住宅はまばらであったことから、上記人物を特定するのはさほど難しいことではありません。
昭和のガリ勉が生んだ自由な発想
私がまだ幼い頃、近所に男ばかりの三人兄弟が住んでいました。
苗字は憶えていますが、残念ながら下の名前はうろ憶えです、特に御次男の名前はさっぱり思い出せません。
三人とも大変勉強熱心な兄弟で、その優秀ぶりは強烈な印象として残っています。
この兄弟の御長男が全ての条件を満たす唯一の人物です。
この兄弟は日常会話の大部分を英語で行っていました。
三男はまだ国分寺一中生で頬が赤く、透き通った眼をしていました。
次男はニキビ面の精悍な風貌で都立立川高校の生徒。
そして当時東大生だった長男が弟達の不適切な英語を指摘しては直させていたのを、私は何度か目撃しています。
まだ小学校低学年だった私は幼いなりに驚愕していたものです。
私は長男の方とはかなり歳が離れていましたので、遊んでもらった記憶などはありませんが、
よく声を掛けてもらったことはあります。
若さに似合わぬほどの温和な表情は、幼かった私にも安心感を与えたのかも知れません。
「優秀な人とはこういう人のことなんだ」と子供心に確信したのだと思います。
三男の方は一番歳が近かったので、よく遊んでもらいました。
但しそれも小学生まで、三男が中学生になってからは、
この三人兄弟は競ってガリ勉に精を出すようになり、昼間見かけることが少なくなりましたが、
「深夜2時以前に勉強机の灯りが消えたことは無い」と母から聞かされていました。
実は私が初めて「エックス山」の名前を聞かされたのはこちらの三男からでした。
「団塊の世代」の走りであった長男と、その中心世代の弟達。
今の時代では到底考えられない生き方を選択していたように思えます。
御本人達に真異の程を確認する術はありませんが、
「エックス山」のネーミングは間違いなく「団塊のクリエイティビティ」であるように感じます。
三男が国分寺第二小学校を卒業した春と時を同じくして、国分寺第五小学校が開校したと、
確かそのように記憶しています。
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