犯人の職業は「タクシードライバー」であった。
とするのが最も賢明な推理だと思う。
「タクシー業務適正化臨時措置法」によって、
タクシー乗務員が登録制になったのは昭和45年。
彼が事件前後に退職していたとすれば、
その氏名は公的機関に記録されていることはない。
18歳でタクシー会社に就職し、7年後の25歳、
当時手に入ったのは、「1人1車制事業免許」。
個人タクシー開業を理由に会社を退職することは、
決して不自然なことではなかったはずだ。
職業は偶然、犯行は必然
三億円事件の大きな特徴は、事前準備を含めて全て「三多摩地域」を舞台とし、
多摩を縦横無尽に走り回っている点である。
特に犯行当日の犯人の行動は、「土地勘のある人物」どころではなく、
「多摩を走る」こと自体を職業としているとしか思えないほど、裏道にまで精通している。
1、多摩地域の地理を熟知している
しかも、昭和43年はまだ自家用車の世帯普及率は10%台前半だった。
自動車の性能も、現在のそれとは比べ物にならない程お粗末な時代だった。
当然オートマチック車などまだ存在していない、
クラッチやギアの操作感覚も車種毎にそれぞれクセのあった時代である。
にも拘らず、犯人は現金輸送車のセドリックから、
逃走用のカローラまで器用に乗りこなしている。
2、自動車の運転に慣れていて、構造にも詳しい
不慣れな素人なら、慌ててエンストしてしまうだろうが、
彼はエンジンの掛かったセドリックの床下に潜り込んで、発煙筒に着火させたり、
カローラのエンジンキーのリード線を短絡させてエンジン始動させたり、
「素人離れ」した手口が目立っている。
タクシー会社に勤務していれば、営業所には整備士が常駐していただろうし、
万一路上で故障した際の対処などは整備士から研修を受けていたに違いない。
タクシードライバーは何かと苦労の多い職業である。
酔っ払いや悪質なクレーマーはもとより、所謂バカップルの傍若無人に耐え、
時に「その筋の人」とも狭い車内空間で暫しお供をしなければならない。
でもそんな「厄介な乗客」ばかりでもない、
中には貴重な情報をくれるお客さんも居たことだろう。
現代のような「個人情報」の概念はおろか、「普通のサラリーマンが知る情報」など、
企業秘密にも当たらなかっただろう。
その結果東芝のお客さんを乗せれば、
東芝の「ボーナス支給日」などたちどころに判ってしまう。
タクシードライバーにとってそうした「ヒト、モノ、カネ」に関する情報は、
稼ぎを上げる上で必須である、
よって入手した情報は無線によってリアルタイムに各ドライバーに共有される。
3、情報通である
多摩地域で営業するタクシー会社であれば、その「お得意さん」リストに、
「日本信託銀行国分寺支店」も含まれていた可能性がある。 だとすれば、
1日中貸し切りで、彼らの営業活動に付き合う日だってあっただろう。
後部座席での銀行マンの会話はドライバーには「筒抜け」である。
しかし、そんなことを気にする風潮は当時は皆無であったろう。
東芝への現金輸送のスケジュールやルートなど、
タクシードライバーは一般人が知り得ぬ情報を、いとも容易く手に入れる。
高い計画性が忍耐を助けたか
タクシードライバーの勤務はシフト制である、早朝から深夜までの長時間勤務はさぞキツかろう。
しかし、翌日は「明け」であるから終日自由である。
慣れぬ内は疲労が抜けず、体を休めるだけで精一杯かも知れないが、
慣れたドライバーなら、「明け」も休日同様である。
よって、タクシードライバーは「趣味人」が多いとされる。
但し、ゴルフのように仲間が居なければ成立しないような趣味は不向きだ。
釣りや、写真、絵画などでプロ級の腕前を持つ人の他、半田ゴテを持ってラジオの製作をしたり、
プラモデルに凝ったり、手先が器用な人が比較的多いという。
4、細かい作業を厭わない、趣味人である
休日に加えて「明け」の時間も有効に利用できるため、
彼は準備に約1年を掛けて周到な計画を立てることが出来た。
特に、車両などを盗み出すには平日日中の時間が必要だったが、
彼はその時間を工面するのに苦労しなかったはずだ。
5、平日日中にまとまった時間が取れる
タクシードライバーは、仲間同士で情報を共有することで売り上げ増進を図っている。
仲間の存在は絶大であるが、それはあくまで「業務上」に限ってのことだ。
シフト制の勤務であるため、休日も明けもバラバラだし、客商売だから盆も正月も無い。
一般サラリーマンのように、「帰りに皆で一杯」ということも皆無であろう。
職場でのプライベートな人的繋がりが、極端に希薄なのもタクシードライバーの特徴だ。
犯人が「孤児院」の出身なら、どんなに学校の成績が優秀でも、
「身元保証」の面から「銀行員」になるのは難しかったのではないか。
しかし高度経済成長の中、需要が急拡大していたタクシー業界では、
ドライバーの確保は当時容易でなかったという。
被雇用者と言えども、完全歩合制賃金の下、事実上の「個人事業主」であるタクシードライバー。
辛い仕事ではあるが、そのかわり収入は一般サラリーマンの上を行く、
しかも当時は7年の「業務経歴」で独立が許された。
一定期間の辛抱で、次の夢を描くことの出来た時代は、彼にとって幸いだったに違いない。
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