都立多摩科学技術高校の奇跡 多摩の教育改革1

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都心から多摩地域へと、
大学の移転が続いた時期がありました。
都内のキャンパスが手狭になり、校舎も老朽化、
加えてバブルの影響で地価が高騰し、
東京は学ぶことさえ不自由な都市になったと、
次々に「引越し」して来た最高学府。
お陰で多摩は学びの場としての地域特性が加わり、
特に「理科系」の志望者にとっては憧れの
研究機関も、今では多くが「多摩のお膝元」です。

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公立高校の役割とは

間もなく師走を迎えるこの時期、中高生を抱えるご家庭ではなにかと気を揉むのが「受験」。
学校ではもう「個人面談」が始まっているでしょうか?
特に大部分の方が「初めての入試」に臨まれる、中学3年生の親御さんにとっては、
嘗胆の試練を迎えようとしています。
親はどうしても「自分のその頃」を比較対象にしてしまいがちです、
それがまたとんだ見当違いをもたらす要因になったりもします。
私には子供がいませんが、その心中は想像に難くありません。
私の「その頃」は、地元国分寺に新設校が設置されるという話で持ち切りの感がありました。
今の「都立国分寺高校」がそれにあたります。
親にとっては地理的な手近さが魅力に映ったのでしょうが、
当時の都立高校は「エリート主義」丸出しの選抜で、
国分寺高校は私のような「落ちこぼれ」には到底手の届かぬ学校でした。
当時、「都立普通科がダメなら私立か職業科」と相場が決まっていました。
私はその何れでもない私立工業高等専門学校を選択したのですが、
その理由として都立の職業科は「荒れ放題」という印象が強かったからです。
多摩地域では都立の職業高校は当時既に「地に堕ちていた」のです。

昭和の高度経済成長の中、多摩地域にあっては「都立小金井工業高校」は「名門」の誉れ高く、
優秀な生徒が集っていたと聴いていますが、
失礼ながら私の高校受験の頃にはそれすら「評判倒れ」の感が否めませんでした。
とうとう2008年には新規生徒募集が停止され、2010年には全日制の課程が閉鎖となりました。
今にして思えば、「公立職業高校」はとっくに以前から社会のニーズを失っていたのだと思います。

”理科系”にかつてない期待

それが驚いたことに、同敷地に新たに開設された、
「都立多摩科学技術高校」がとんでもない躍進を遂げているというのです。
この学校の前身は決して「都立小金井工業高校」ではありません。
後者は既に夜学課程のみとなって、同新設校に併設されているに過ぎません。
「科学技術科」に特化したこの高校は、
総合高校とは逆に非常に狭い立場からの高校教育を実践する場として注目されています。
特に今春の「国公立大学合格者」は同校220名中32名という驚愕の数字を叩き出しました。
もはや「職業高校」などという括りではなく、歴然とした「進学校」なのです。
それも開校時(平成22年度}の偏差値49に対して、今年度は65と予想されています。
これは都立高校のランクの中でももはや「中堅」ではなく、
上位のそのまた上くらいのランクになります。
たったの6年間で偏差値が16ポイントもアップするというのは、尋常なことではありません。

今多摩地域で最も注目を集めている高校、と言って過言ではない「都立多摩科学技術高校」。
どんな学校なのか? 次回の記事でもう少し掘り下げてみます。



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