立川断層の戦々恐々は何だったのか

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台風10号は北日本に深刻な被害をもたらしましたが、
不謹慎ですが私達多摩地域に住んでいる者からすれば、
「肩透かし台風」でした。
しかし自然災害は意表を突いた形でやって来ます。
台風の接近は衛星画像などで事前に知る事ができますが、
地震となると全く刃が立ちません。

立川断層

文部科学省 地震調査研究推進本部

立川断層

文部科学省 地震調査研究推進本部

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二転三転の活断層

青梅市から瑞穂、武蔵村山を通って立川を縦断し府中へ抜ける、
「立川断層」は以前から知られていて、
私がこれの存在を知ったのは阪神淡路がきっかけであったと思います。
この時点では、「確かに活断層ではあるが、動くとしても1万年先」と言われていました。
それが東日本大震災を契機に突然脚光を浴び始め、
首都圏でも特に切迫度の高い危険な活断層と言われるようになりました。
東日本大震災の大規模な地殻変動によって、列島全体の歪みがリセットされて、
過去の研究成果はアテにならないということでした。
それが最新の研究結果によると、
立川断層の存在そのものがアテにならないという結果が発表されたのです。

玉川上水立川断層による湾曲

湾曲する玉川上水
立川断層による高低差を克服するためのカーブだと言われて来た。

立川断層を行く西武拝島線

立川断層を行く西武拝島線
線路は水平、道路は坂なっている。

日産自動車村山工場跡地(ゴーン平原)の広大な敷地を利用して、
トレンチ調査(長い溝を掘って地質を詳細に調べること)を行った結果、
立川市内には活断層の証拠が発見されなかったというのです。
その代わり、瑞穂町の箱根ヶ崎付近は間違いなく活断層であることが確認できたということです。
以前こ当方の記事で紹介した「筥の池」は、地元瑞穂町教育委員会によれば、
「古多摩川による浸食で出来た窪地」と解説されていますが、
東大地震研究所の最新の報告では、活断層の撓曲(とうきょく)と狭山丘陵に囲まれた、
「構造湖」であるかも知れないというのです。

箱根ヶ崎の語源 箱の池

鎌倉時代以前から知られていた「箱の池」。
本当はもっと大きかったのかも知れない。

狭山池周辺の活断層

文部科学省 地震調査研究推進本部
狭山池周辺の活断層

構造湖と云えば、日本最大の活断層である中央構造線と、
それに次ぐ静岡糸魚川構造線の交点にある「諏訪湖」が有名ですが、
そうなれば「諏訪大社」に相当するのが「狭山神社」ということか・・・?
意外なパワースポットだったのですね、「筥の池」は・・・。
中央構造線は東端の鹿島神宮から、西の果ては阿蘇神社に至ると言われ、
途中には伊勢神宮なども存在します。
一方立川断層上には狭山神社、阿豆佐味天神、谷保天神が存在し、
あながち偶然とも思えないのですが、「立川断層」の名称は無くなり、
「箱根ヶ崎断層」とするのが適切という結果になったそうです。

箱根ヶ崎断層

箱根ヶ崎付近の「撓曲」
茶畑全体が小さく波打っている、これは正真正銘の活断層だ。

”減災” は ”心に決める” ということ

「撓曲」という地質学用語もサッパリで、調べるのに苦労しましたが、
要は活断層というのは数万年サイクルで活動する地層のことで、
明日の天気すら心もとない現在の知識では、
到底手に負えそうもない存在であるということは確かなようです。
首都圏の地下に潜り込むプレートの構造はそれよりはるかに複雑で、
専門家もお手上げという感じに見受けられます。
では、私たちに今できる減災とは何か? ですが、
「数万年に一度の出来事が明日に迫っている」と思うことではないでしょうか。
熊本地震では倒壊した家屋の下敷きになって犠牲になられた方が圧倒的多数を占めました。
私が子供の頃には、「地震の時は慌てずに火の始末」と教わって来ましたが、
どうやら間違いであるようです。
私は「その時」が来たと感じたら、すぐに広い場所へ脱出しようと決めています。
幸いにも私の家の隣は大きな公園なので、そこへと決めています。
問題は高齢の母をどうするか・・・、背負ってゆくしかありません。
多少の無理はあっても、「心に決めておく」ことが重要なのではないかと思うのです。

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