中央線国立駅南口は、
かつてシンボルだった三角屋根が無くなって、
(現在は既に復元されています。
新品ピカピカになって帰って来たという感じです。)
現代的な橋上駅に生まれ変わったものの、
正直「どこにでもありそうな駅」、
になってしまったという感じです。
惜しまれながら
しかし三角屋根の駅舎は市によって保存され、4年後にはまた南口付近に再現されるらしい。
国立らしい取り組みだと思います。
(現在ほぼ同じ位置に復元されていますが、駅舎とは切り離され国立市の史料などが展示されています。)
私は南口ロータリーから旭通りの入口付近にあった産婦人科病院で生まれたので、
出生届は国立市(当時は町)に提出されています。
そして「たまらん坂」はこの旭通りを入って徒歩15分程度です。
駅から真直ぐに行くと正面にコンビニエンスストア・ローソンが見えて来ます。
昔はこのコンビニの位置に、現在は南側にある金物屋さん「かどや」さんがありました。
幼いころ父とよく買い物に来た記憶があります、
当時はバケツやタワシなどの日用品は金物屋さんで購入していました。
またこの交差点(正確には5差路)を駅から見て左へ入ると、昔懐かしい銭湯「鳩の湯」があります。
現在も営業していると思いますが、国立で唯一のお風呂屋さんになってしまったらしい。
ここにもよく連れて来てもらったっけ、我が家には小さいながらお風呂はあったのですが、
父の銭湯好きに付き合っていたようです。
ここへ来る際、たまらん坂では無く「應善寺の坂」を下って来ました。
国分寺はハケと呼ばれる河岸段丘の上部に位置し、南西側の境界はどこも坂道になっています。
個人的にはこの「應善寺の坂」により多くの思い出があるのですが、
中途半端な夢の跡
全国的に有名な「たまらん坂」は、この交差点を斜め左に入った先にあります。
交差点を境に「旭通り」は「多喜窪通り」に変わります。
国立駅がまだ無かった頃、国分寺駅と往来するために造られた道です。
だらだらとした坂道の両側には丸い石を積み上げた石垣があった。
この地域で良く視られたこの石垣は、多摩川から採取した石を積んだもので、
今でも五日市街道沿いに多数見ることができます。
その丸い石にカラーペイントなどで描かれたおびただしい数のメッセージは、
今は亡きキヨシローに宛てたものでした。
彼はその坂の中腹あたりのアパートに住んでいたのだといいます。
コメント
たまらん坂を国立方面に下って途中左側に曲がる細い道がありました。そこあたりにアパートが何軒か建っていて、そのどれかに清志郎が住んでいたと思います。彼の曲に部屋から見える月が詞に描かれていますが、なんとなくわかります。その道は削られた赤土がむき出しになっている壁があって、どうしてもこうもり傘でパラシュートのように飛び降りたいと思い立って雨が降っていないのに傘を持ち出し、飛び降りましたが、ただ足が痛かっただけでした。その上は雑木林で、たまらん坂にそってありました。(今はマンション)その中に「バリさんの家」と呼ばれていた洋風の建物があり、轍のようなコンクリートが2本、家まで伸びていました。小さかった僕は怖くて近寄らなかったです。坂下にはいわゆるアメリカンハウスが何棟も建っていて、立川基地のアメリカ兵の家でした。大人になってジープで送迎していたという人から聞いた話では、基地から離れているほど位が高かったそうで、基地に行くにはいつもジープの送迎付きで、そのドライバーは基地にやとわれた日本人がになっていたとのこと。