昭和三十年代には既に「エックス山」と呼ばれていた雑木林。
平成の世になって、そのネーミングのユニークさに注目が集まっているようです。
しかし、誰が名付け親なのか?
ということについては地元に住んでいた私たちも無頓着でいました。
昼でも薄暗い怖いところだった
元来私有林だったので、元地主さんなら知っているだろうと思いたくなりますが、
それならとっくに命名者は明らかにされているはずです。
その地主さんは江戸享保年間に最も早く内藤新田の開拓に着手した人物の末裔であり、
新田開発に係る古文書など多くの歴史資料を市に提供して来た人だからです。
しかし、「エックス山」というユニークな命名をした人物は現在も特定されておりません。
一部では、「山で遊んでいた子供たちが名付けた」という説もあるようですが、私は明らかに違うと思います。
何故なら、その当時エックス山の周辺は畑ばかりで、数件の農家が点在していただけだからです。
最も近い第五小学校が開校したのはまだ後のことで、付近の子供たちは光町の第二小学校に通っていました。
そう、キヨシローの母校でもある第二小学校に通うにはエックス山は通学路でも何でもなく、
そんなところで遊んでいた子供などいるはずがありません。
まして、山で遊ぶのなら当時似たような雑木林は他にいくらでもあったのです。
武蔵野の路 広く続き
前回の記事でも書きましたが、私もエックス山で遊ぶと親から怒られることもあり、別の雑木林でよく遊んでいました。
「バケヤマ」とか「ヘビヤマ」とか呼んでいたのですが、当時の小学生のネーミングセンスなど所詮そんなものだったのです。
今はどうか知りませんが、アルファベットに親しんでいた小学生など当時は皆無であったと思います。
でも中学生ならどうでしょう?
エックス山のクロスロードはその当時から国分寺第一中学校への通学路だったのです。
毎日通うクロスロードに覚えたてのアルファベットを使用して命名した、とすれば一応辻褄が合います。
それにしても、森の中で小路が交差しているというだけで、あたかもその様子を俯瞰するかのように、
「X」をイメージして命名するというのは、並の中学生とは思えません。
当時としてはよほどクリエイティブな感性を持った、かなり優秀な生徒だったのではないかと想像されます。
命名されたのが遅くとも昭和三十年代、終戦が昭和二十年であることを考え合わせると、該当する人物は相当に絞り込まれます。
実は私には上記を満たす人物に一人だけ心当たりがあります。
その話は次回にしたいと思います。
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