三億円事件の五十年 最終回 遠ざかる昭和

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自分は悪人であると自覚する人は、どちらかというと善人だ。
厄介なのは、加害者のくせに被害者の顔をして生きている輩だ。
その善人ヅラで、他人だけでなく自分自身をも欺いている連中だ。
資本主義は、カネの奪い合いで成り立っている。
奪う者がいれば、必ず奪われる者がいる。
例え大金を奪われても、シンジケートの力で傷付かぬ者もいれば、
大金を奪いながら、その金の意味を見出すのに苦労する者もいる。

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日本脱出

裕二(犯人)は宮崎市内のサレジオ会施設に匿われて年を越した。
1ヶ月もすれば世間の関心も下火になるだろうと、タカを括っていたが、
騒ぎは一向に収まる気配を見せない。
収まるどころか、現職の白バイ警官の息子が嫌疑をかけられた末に、
服毒自殺するという、まったく想像だにしなかった事態も起きていた。
犯した罪は、たかだか「窃盗罪」に過ぎないが、金額が金額だけに、
世間の興味関心は留まるところを知らず、加熱する一方であった。
そんな中、東京サレジオ学園の神父は、裕二を海外に脱出させる決心をしていた。
幸いにして、公開されたモンタージュ写真は、本人とは似ても似つかない。
下井草教会では、サレジオ会幹部の秘密会合で、神父が焦りを隠さず怒鳴っていた。
「今のうちだ! 今のうちに急いで彼をトリノに向けて出発させるのだ」。
「彼を捕まえさせるわけには絶対に行かない、分るでしょう!」

カトリック下井草教会

裕二は施設の責任者から、今後の身の振り方について打診されていた。
サレジオ会の方針として、「海外脱出」を強く奨められていたのだ。
偽白バイと、国分寺跡の現金輸送車、それに第3現場に乗り捨てたカローラは、
連日ワイドショーを賑わしているが、
未だ「多摩五郎」が発見されたというニュースは無い。
奪った現金は、早々とBOAC機によって「密出国」済であったが、
裕二も引き続き、同エアラインの「お世話」にならざるを得ない情勢だ。
彼にはまだ捜査の手が伸びて来てはいないため、出国手続きも今なら円滑に行える。
宮崎に住民票を移していたのも、旅券申請を睨んでの事だった。
裕二は東京での個人タクシー開業を断念した。

諦めることで開かれた扉

ローマ コロッセオ (著作権フリー画像より)

ローマ、レオナルド・ダビンチ空港に降り立った裕二は、
ボストンバッグひとつと、至って軽装であったが、
今の彼にはそれが「全財産」であった。
到着ロビーで、裕二は「身元引受人」の姿を捜していた。
やがて後方から「こんにちは、裕二さんですね」と、流暢な日本語で声を掛けられた。
振り向くと、品の良さそうな中年男性が満面に笑みを浮かべていた。
「驚きましたか? 私は以前日本に勤務していたので日本語は得意です」。
ローマで彼を出迎えたのは、ベルギー国籍の聖職者、ベルメルシュ・ルイズだった。
二人はこの後サレジオ会本部の在るトリノに移動した。
当面トリノの近郊にベルメルシュが用意してくれた家で、共に過ごす事になっていた。
「ここまで来ればもう安心ですね、よくやりました」。
「心配要りません、貴方が犯した罪など、私の罪に比べたら…」。
言葉の通じぬ異国で、唯一の話し相手であったベルメルシュから、
やがて裕二は9年前の「スチュワーデス殺人事件」について聞かされることになる。
なるほど、「身元引受人」について、年恰好などの特徴だけを伝えられ、
名前を教えて貰えなかったのは、そういう事情によるものだったのか。
今自分が置かれている状況は、自分自身で招いたものだが、
それにしてもサレジオ会というのは、なんと恐ろしい組織なのか…。

 

トリノ市街 (著作権フリー画像より)

東京、小金井本町団地の駐車場から、
空のジェラルミンケースを積んだ「多摩五郎」が発見され、世間が騒然となっていた頃、
犯人裕二は、遠くイタリアでの日常生活に、早くも慣れ始めていた。
かつて育英高専で、英会話の講師をしていたベルメルシュのアドバイスもあり、
片言の英語で、なんとか周囲とのコミュニケーションも取れるようになっていた。
そんな裕二の耳に焼き付いたベルメルシュの言葉がある。
「断念は新たな人生の扉です、貴方はサレジオ会を『踏み台』に出来ます」。

三億円犯人 半世紀の足取り

奪う事で、全てを失った犯人裕二。
全てを失ったことで、新たな人生の第一歩を、遠い欧州の地で踏み出す事が出来た。
サレジオ会の組織力は、そんな彼に就労ビザを与えるべく画策を惜しまなかった。
裕二は犯行の翌年、トリノからバチカンに移転し、そこに住まいと仕事を得た。
それから半世紀、彼は地元で妻子を得、
現在は地中海の島で、家族と共に小さな教会を運営している。
あのまま日本に残ってタクシードライバーを続けていたとしたら、
例え組織からの報酬も得続けたとしても、税務処理などが困難になるばかりで、
やがてはそれが元で、「三億円犯人」であることがバレてしまうかも知れない。
バレないためには、「一切の恩恵を受けない事」しか方法が無い。
それでもいい、人生の意味を勝ち取るために、命懸けで闘った12.10。
日本を去る際、羽田まで見送りに来た神父は、「7年間我慢せよ」と言った。
しかし例え7年後に公訴時効を迎えても、
裕二は日本に帰れば「三億円犯人」であることに何の変わりもない。
ベルメルシュの言葉を信じ、裕二は「帰国する意志は無い」ことを組織に伝えた。

バチカン サンピエトロ大聖堂 (著作権フリー画像より)

事件後日本では、金融のオンライン化が急速に進んでいった。
その結果、給料袋の中身は明細書の紙切れ1枚という、かなり味気ないものと化した。
12.10がもたらしたものは、単なるキャッシュレス社会だったのか?
「三億円犯人」を「悪人」として憎む人は、現代ではごく少ないのではないだろうか?
事件当時の記憶を遡れる者としては、決して盗人を称賛するわけではないが、
善と悪との境界線を、実に曖昧で、不鮮明なイメージとして、
この半世紀、人々の心に刻み込ませた出来事であったように思われる。

昭和だから出来た 12.10

昭和40年代、子供達の遊び場はもっぱら「空き地」であった。
そもそも「空き地」とは、単に「未利用地」であるだけでなく、
「所有者不明で、出入り自由な、そこそこの広さを持つ土地」のことを指す。
だから子供達は毎日そこで、自由に遊ぶことが出来た。
そこは「何をやっても、誰からも怒られない場所」であったのだ。
また大人にとっても「空き地」は重要な意味を持つ。
例えば、車やバイクを勝手に停めておくことが出来、誰にも咎められなかった。
仮にそれが盗難車であったとしても、誰もそれに気付かない、警察でさえも…。
公営団地の駐車場は、管理がなされていない点から、「空き地同様」と言える。
誰が何処にどんな車を置いていようが、知った事では無い。
車の数より駐車場の区画数の方が、圧倒的に多かったのだろう。
給与の口座振り込み以前の、防犯カメラの数に圧倒されるより、遥か以前の、
畑と空き地ばかりの、モノクロームな印象。
筆者が遠い記憶の中に持つ「昭和40年代」のイメージである。

地中海に浮かぶ島 (著作権フリー画像より)

だからこそ筆者は三億円犯人の今を、カラフルなイメージの中に置いてやりたかった。
「地中海の島」で画像検索すると、沢山の「カラフル」がヒットする。
それらは、日本の昭和とは正反対なイメージである。
地中海には千を超える島々があるという。
そこで犯人の「今の居所」を捜すことは、「多摩霊園の墓石を退かす」行為に等しい。
東京サレジオ学園の神父が、「置き土産」として、ジェラルミンケースの中に、
「骨壺」を放り込んでおいたのも、警察に貴重な「手掛かり」を与えてやるためだった。
まったく御苦労な話である。

夕暮れの東芝府中事業場 国分寺跡から撮影

平成から令和へと時代は移り、
昭和は更に遠退いて行く。
今にして思えば昭和とは、
どこか間が抜けていて、それでもどこか暖かい時代であった。

本記事はフィクションであり、登場する団体、個人は全て実在しない架空のものです。

 

揺れた日本、震えた多摩 三億円事件の五十年 vol 1
今から半世紀前の12月10日、 日本中に衝撃が走る大事件が起こりました。 その舞台となった国分寺、府中、小金井、 まだ小学生だった頃の記憶を遡って、 「3億円事件」とは一体どんな事件だったのか? あれから50年の節目を迎えるに当たり、 半世...

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