重い期待と共にヨコタわる日米同盟 福生

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なかなかやるじゃないか、ウクライナ・・・。
高見の見物のつもりでいたはずの日本人の頭上を北朝鮮のミサイルが飛び越えて行く。

ロシアによる軍事侵攻が始まって、平和ボケから眼が覚め始めたか?

ほんの数年前に書いたこの記事を、今読み返すと痛感することがある。

もし日米同盟が無かったら、今自分はここに居るだろうか?

いや、それより気になるのは、今の日本にはゼレンスキーが居ない事だ。

横田基地

flightradar24.com より
解っていても「何故こんな処へ?」と思ってしまう不思議

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存在だけで稼げるなら 不動産屋よりいい商売だ

多摩に横たわり、東京の空を支配しているという米軍横田基地。
かの石原都知事が「軍民共用論」を展開して以来、管制空域の一部が返還され、
航空自衛隊総隊司令部が横田に移転するなど、「軍事供用化」は進んで来ました。
しかし、猪瀬知事から舛添知事になって以降、五輪に裂くエネルギーの大きさが故か、
「横田問題」はすっかり棚上げにされた感がありました。
それがここへ来て俄かに活気を帯びた話題になり得るのではないかと、
密かに期待しているのは私だけでしょうか?
横田は沖縄の基地問題とはまた別の側面を持っています。
「首都だから」という傲慢な理由ではなく、
関東随一の4000mランウェイをもっと有効に利用できないのかという、
一種の歯痒さのようなものです。

横田基地

昭和11年 国土地理院
建設中の陸軍多摩飛行場(横田基地の前身)

歴史を紐解けば、「陸軍多摩飛行場」として航空機の審査や実験を行う部隊が、
立川から移転したものでした。
昭和11年の航空写真を見ると、まだ造成中の「多摩飛行場」の大きさが判ります。
当時の滑走路は1200m位だと思いますが、これで十分だったのですね。
南側を良く視ますと、何かの施設が写っています。
拝島駅から引込線が伸びていますが、これは現在も米軍への燃料輸送に使用されています。
「熊川燃料保管庫」と呼ばれた施設です。
このあたり一帯がそっくり米国に接収されて、現在の横田基地になっています。
基地の規模拡大は、戦後の朝鮮戦争の影響によるもので、
直接日本の安全保障に貢献するためとは言い難いものがありました。
しかし、それを言うなら沖縄などはベトナム戦争のために使われたようなものであり、
また極東に関しては、グアムのアンダーセン基地の更に前線基地というような役割のものでしょう。
米国の軍事力を「日本の防衛に使うような事態」がまだ起きていないだけのことであり、
駐留米軍はまさに「そのため」のものです。

横田基地

平成20年 国土地理院
基地によって分断された五日市街道と旧集落

何もせず出て行くというなら 家賃・敷金の免除は・・・

ミサイルや最新の戦闘機などの「ツール」の使用があるかないかという問題ではなく、
広大なYOKOTAが日本の首都東京にデンと寝そべっていることが、
それだけで大きな抑止力であったことは疑いありません。
それでも戦後70年の時が、長いか短いかは歴史家ですら判断出来ないところでしょうが、
世界から国際紛争の火種はなくなるどころか、大炎上の兆しさえ見え始めています。
いつまでも米軍という「虎の威を借るキツネ」でいたかった日本ではありますが、
ウクライナ紛争によって。核の脅しに躊躇するアメリカの姿を初めて目の当たりにしました。

横田基地

シアトルから御到着のチャーター機
Omni air 279 Boeing 767-300

横田基地

頭上をかすめる機体
「供用」なら我慢できるかも

これを契機に「何かが変わり始める」と、前向きに考えてみると、
まず出来ることは横田への「核配備」ではないでしょうか。
非核三原則はひとまず棚上げにして、
今は日本が核戦争に巻き込まれる危険を少しでも減らす事、
それと引き換えの「基地負担」という同盟本来の目的を鮮明にしてはどうかと。
いつかは横田も軍民共用となって、横田発の便で旅行に出掛けられる日が来るまで、
軍事基地としての重い期待がのしかかる横田基地です。


 

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