多摩地域を綴った記事に、
使いたくて、使い切れなかった写真。
あれも、これもと載せてしまえば良かったか?
それでも載せきれない多摩の素顔。
今回は、「選に漏れた」写真を少しピックアップ。
その写真と一緒に書きたかった事、
書きたかったけれど、上手く書けなかった事。
過去記事プラス・アルファという感じで、
補足出来ればと思い、少しだけ振り返ります。
散歩道を往く電車の記憶
東京では南北に走る鉄道は数少なく、殆どが都心から放射状です。
そんな中で「下河原線」は、多摩の街を南北に繋いでいました。
「下河原線回想」の記事中で、「まるでジブリのような」と書いたのは、
電車に乗っていても、東西の変化は短時間ではそれほど変わらないのに、
国分寺から南方の多摩川へ至る景色の変化が、大きかったからでしょう。
武蔵野線となって、以前よりも格段にスピードアップしてはいますが、
住宅街を抜け、田園のあぜ道を電車が往く、まるで散歩のような、
地元への密着感はなくなってしまいました。
記憶の隅に残された「下河原線」をいつまでも忘れないように、
緑道は今日も人々の散歩道として、地域に密着しています。
かぜの道は、本当の自分に帰る道
多摩川土手を延々と走る「かぜの道」。
以前より利用者が大幅に増えて、その分危険なケースも増えました。
多摩川から眺めれば、そこに見えるのは多摩地域に暮らす人々の生活の様子。
夕方に多摩川橋梁を渡る電車には、一日の仕事を終えて我が家へ帰る人。
都心から帰れば、多摩は本来の自分に戻れる場所。
愛する家族が居て、愛犬が居て、暖かな日差しの有る、本来の自分の場所。
多摩を見つめる流れ、清流と時の流れ
江戸時代から多摩川の水を生活用水としてきた、江戸の人々。
玉川上水を語らずに、多摩地域を語ることは出来ません。
現在では緑道となって、人々の心を潤す玉川上水。
四季折々の表情は、多摩の景観を代表し、多摩に暮らす人々の宝です。
歩くということが、実は素晴らしい事と気付かせてくれるのも、
雑木林に覆われた玉川上水ならではの事。
何処までも続く清流の流れを追えば、本当の多摩が見えて来ます。
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