5月連休の頃になると坂の途中に多くの花束が供えられています。
一見すると交通事故でもあったのか? と思わせる光景ですが、
よく見ると「ナマモノを置かないでください」
などと注意書きが貼られていることもあるようです。
考えてみれば花だってナマモノですから、
きっと誰かが頃合いを見計らって片付けてくれているのでしょう。
永く記憶に留めるため
「夜に腰かけてた・・・」の歌詞で始まる楽曲がこの坂を一躍有名にしました。
私が子供の頃は、木柱に墨で「多摩蘭坂」と書かれていました。
現在はひらがな表記、その頃はそこに住宅は無く、国分寺崖線の赤土が剥き出しになった斜面で、
近所の子供たちにとっての恰好の遊び場になっていました。
たまらん坂からその奥を見ると、小さな石碑が眼に入るはずです。
「巡礼供養塔」と云って、江戸時代に建立されたものらしいです。
閑静な住宅街に不似合いな、まるで墓石のようなその石碑はいったい誰が、
何のために建てたのでしょう?
その道をずっと奥まで進むとJR中央線の跨線橋、「内藤橋」に出ます。
その橋のたもとに1件の酒屋さんがありました。
現在お店はもう閉じてしまった様子ですが、
この酒屋さんの御先祖が、仲の良かった油屋さんと西国巡礼に出掛けた際、
道中病を得て亡くなったと言い伝えられ、その御供養のために建立されたのだと伝えられています。
昭和30年代初期まで、この辺りは「内藤新田」と呼ばれていて、
その石碑の建てられている道は鎌倉街道の裏道であったらしく、丁度多喜窪通りとの交差点、
たまらん坂の辺りが内藤新田から府中の宿場へと向かう出口であったのでしょう。
不幸にして旅先で命を落とした血縁者のために、
村から旅立った場所に供養塔を建立したものと思われます。
勿論その頃は「たまらん坂」も「多喜窪通り」自体も存在していません。
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