国分寺駅と西国分寺駅は共に掘割の中にありますが、
その途中は、線路の両側が逆に窪地になっています。
「恋ヶ窪」という地名はこの窪地から来ています。
国分寺崖線の豊富な湧水は、集落の形成を促進し、
それが古代からの文化を築く機会となったのでしょう。
中央線に乗っているだけでは解らない「国分寺の姿」、
何回かに分けて探訪してみようと思います。
伝説の横を行き交う電車
国分寺駅北口を降りて、線路沿いに西へ「花沢橋」方向を目指します。
少し歩くと信号の先に歩道の入り口が見えます、看板には西国分寺駅までのキロ数と、
歩くことによって消費されるカロリー値が表示されています。
そのまま歩けば少なくとも90Kcalを使うことが出来そうです、
こんな表示はあまり見たことがありません。(^^)v
線路沿いに歩きます、右側は日立中央研究所の森です。
「ブラタモリ」でも紹介された「野川の源流」がありますが、普段は立入できません。
足の下をその源流が南へと流れているはずですが、
暗渠となっているためこの歩道からは確認できません。
坂を下りきると前方に西武国分寺線のガードが見えますので、そこをくぐります。
ガードを過ぎると、ごく普通の住宅地の道ですが、この先に「姿見の池」があります。
思ったよりも大きな池がありました。
「姿見の池」についてググって戴けると判りますが、「昔遊女が身を投げた池」とされています。
しかしここは「心霊スポット」ではありませんので、どうぞご安心を。(^^;
池には鴨の他、大きな鯉も泳いでいます。
この池は古代のものでは無く、一度埋め立てられてしまったものを再現したものです。
環境保全に関する市の条例が制定されて、周囲の森と共に大事にされています。
水は昔の通り、「恋ヶ窪用水」から流れ込んでいますが、
水源は昭和40年代後半に、武蔵野線小平トンネルの掘削工事の際に出た、
地下水が導水されているものです。
気付かぬままに過ぎた 日々を歩く
池の奥に森へと続く小路があります。
私はこういう所が大好きなので、奥へ足を進めないわけには行きません。
「雑木林の道」と名付けられた小路、「お鷹の道湧水群」の崖の上もこのような場所でした。
これが国分寺の雑木林という、見本のような所で、「日影山」といいます。
実は私はこのすぐ近くで生まれ育ったにも関らず、この「日影山」を訪れたのは今回が初めてです。
奥へ歩いてゆくといつの間にか木陰から西国分寺駅のホームが間近に見えてきました。
毎日利用した西国分寺駅、ホームで電車を待つ背中の方向には全く関心が無かったわけで、
今森の中からそのホームを眺めていると、昔が懐かしいと同時に、
すぐ隣にあった「別世界」に気付かずにいたことが不思議に思えてなりません。
信じられないかも知れませんが、ここは「旧府中街道」にあたります。
この写真を撮っている私のすぐ背中側は、駅のホームで行き止まりですが、
昭和初期の頃までは踏切で、「踏切番」のおじさんが居たそうです。
古い祠があるところを見ると、やはり旧街道であることが判ります。
かつてこの道を行き交った人々を見守ってきたであろう神様の存在は、
「歴史の証人」ということでしょう。
「恋ヶ窪」の窪地から台地へと昇る階段。
ここを上がって府中街道を横断し、武蔵野線のガードをくぐれば、
私にとっては見慣れた景色が広がっているはずです。
生まれ育った国分寺、一面の桑畑だった頃、このあたりまで遊びに来ただろうか?
幼いころはさすがにここまで来ると、不安になって駆け足で家に帰ったのではなかったか。
夕焼け空を飛ぶムクドリの群れ、思い出すときりがないので、今日はここで引き返そうと思います。
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