『居酒屋兆治』発祥の地、谷保。
国立は昭和になってすぐに作られた街です。
それまでは谷保村と呼ばれ、
中心はあくまでも甲州街道の谷保天神であったそうです。
現西武グループの始祖である堤康次郎氏によって
「学園都市構想」が進められ、
現在の落ち着いた住宅街が完成しています。
文京の町がいつしかセレブに
日没後に羽田を出発する西行便に乗ると、
かなり高い高度からでも特徴ある国立の街灯りが識別可能です。
大学通りを中心に放射状に伸びた旭通りと、
富士見通りで作られる二等辺三角形の頂点が国立駅ですから、
国分寺に住んでいた私の家がおおよそどの辺りかも見当をつけることが出来て、
「便利な街」だと思っていました。
因みに大学通りは元個人所有の滑走路であったと何かで読んだことがあります。
そこへ東京商科大学(現一橋大学)が誘致されて、国立の歴史がスタートしたのです。
国立市の条例について改めて調べた訳ではないのですが、
パチンコ店などの遊興施設や風俗店の出店は一切禁止されているのは有名な事です。
加えて、かのマンション訴訟に見られるように、景観についても細かな定めがあるようです。
三浦友和夫妻も住む「セレブの街」というイメージが濃いようですが、
私が国立に対して持っている印象はもっと庶民的なものです。
何処の街にも有りそうな、小さな居酒屋が国立では有名店になったりします。
例えば「うなちゃん」「まっちゃん」などがそれに当たりますが、
こうした傾向は国立が学園都市として、所謂世俗から一線を画していたことで、
著名な文化人が国立に集結していたことによるのではないかと考えています。
その一人に作家の山口瞳さんがいます。
風の寒さを忍ばせた
昔、本当に随分昔ですが、山口瞳さんがウイスキーのTVCMに出演していたことがありました。
私は幼心に「ああいうカッコいい大人になりたい」と密かに思っていたものです。
その山口瞳さんの作品である「居酒屋兆治」は高倉健さん主演で映画化され、
私も好きな映画のひとつです。
映画は兆治役の健さんと奥さん役の加藤登紀子さんが、
倉庫の立ち並ぶ運河の横の通りを自転車で通り掛かるシーンから始まります。
雰囲気的に「これは小樽かな?」という感じです。
少なくとも国立にあんなところはありません。
居酒屋「兆治」は南武線谷保駅から徒歩数分のところでなくてはなりません。
赤提灯に灯が入る頃、もつ焼きの匂いに誘われてふらふらと入りたくなるような、
そんなお店が映画になるとは誰が想像したでしょうか?
決してセレブではない人達が主役のこの映画が、
国立をモデルに制作されたことが、地元の庶民として誇らしく思えます。
西国分寺駅がまだ無かった頃、私は国立駅から電車に乗っていました。
一駅先は立川、この街も随分変わりました。
特に駅前は「激変」と表現するのが適切かと思いますが、
次回はまた新しいカテゴリで「立川」を取り上げてみます。
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