東京の名水を訪ねて 第5回 矢川緑地とママ下湧水 国立

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東京国立市の市名は、昭和初期の市街地開発からで、
それ以前は谷保村と呼ばれていました。
中心は甲州街道の谷保天神で、現在の国立駅周辺は、
一面の雑木林であったと伝えられています。
近代まで、人々の生活水は井戸によって賄われましたが、
その井戸を掘る技術すら充分でなかった時代、
湧き水は生きる力を絶えることなく供給し続け、
歴史の早い段階から「集落形成」に大きく寄与していたと
考えられます。

矢川緑地

矢川緑地の木道

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崖の上下で世界が変わる

縁起でもない話ですが、人が死ぬと「てんこ盛り」の御飯に箸を突き挿して霊前に供える、
「陰膳」の習慣があることは広く知られています。
しかし、国立の甲州街道以南の地域では「お団子」を拵えて、
丁度月見団子のようにピラミッド状に重ねたものをお供えするのが、
正式な「陰膳」なのだと、父が亡くなった時に知りました。
父は千葉県の出身だったため、そんな話は子供の頃から一度も聞いたことがありませんでしたが、
地域に限局した文化が多摩地域にも息づいていることを知る機会ともなりました。

矢川緑地

木道沿いはこのような湿地
鴨にとっても良い餌場なのでしょう

「矢川」の今 古い石積みが絵になっています

「矢川」の今
古い石積みが絵になっています

矢川緑地

矢川沿いの小路
孫を連れたと思われる老婆が、先ほど通ってゆきました。

古代の多摩川によって浸食された地形を、「ハケ」と呼び、
国分寺段丘をはじめとして、川に向かってひな壇のようにいくつかの段差が存在します。
そのうちのひとつが、「矢川緑地」として保全されています。
ハケ下ですから湧き水が豊富で、「矢川」はそのひとつ下の段へ流れ下る小川の名前です。
名称からして、昔はもっと水量の多い流れの速い川だったのだろうと想像されます。
現在矢川の周囲は、東京の住宅街の中では珍しく「湿地」となっています。
木道が作られて、保護されている一角が「矢川緑地公園」です。
今はチョロチョロとした、可愛い流れです。
湿地特有の植物や動物が今でも生き続けています。
段丘の下側には湧き水と共に、豊かな自然が残されていました。
この段差を利用した住宅が一列に並んで建っているところもあります。
玄関は2階、1階の庭先は湧き水があふれる緑地となります。
屋根に積もった枯葉を掃除するもの、短い脚立でこと足ります。
私の父はこのすぐ上の火葬場から「あの世」へと旅立ってゆきました。

矢川緑地

矢川緑地の前はサポート付きの「シェア畑」
向いには大きなホームセンターが、なにもかもが「おあつらえ」。

ママという名の暖かさ

その矢川緑地から流れ下った、もう一段下の崖を地元の人たちは「ママ」と呼んでいます。
ここにも湧水群があります。
人呼んで「ママ下湧水」。
河岸段丘を「ハケ」と呼ぶのは一般的ですが、「ママ」と呼ぶのは多分この地域だけだと思います。
東京にも独自の方言があることを裏付けています。
ここは中央道国立府中ICの近くにあります、通り過ぎる人たちは、まさかこんなところがあろうとは、
思いもしないことでしょう。

ママ下湧水

滾々と湧き出すママ下湧水
「野菜以外洗わないで」という看板が、一体何を洗うヒトがいるのでしょう?

ママ下湧水の湧き出し点はこのあたりか

ママ下湧水の湧き出し点はこのあたりか

ママ下湧水

東京なのに驚くほど済んだ流れ
何故か幼い頃を思い出します。

東京、多摩の原風景とも言える「ママ下湧水」を、静止画だけで記事にするのは難しいと考えます。
流れる様子と「水音」こそが、命を育んできた湧水の真の姿。
何としても動画で紹介したいと想い、撮影しましたが「町のノイズ」が想像以上に入り込み、
なかなか思うに任せませんでしたが。編集が終わったらこのすぐ下に埋め込みます。
いずれ撮り直しになるでしょうが、とりあえず今はこの映像で失礼します。


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