国分寺 ALWAYS Ⅱ

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「今朝夢を見た、小学校の途中で転校していった友人と、
下河原線の貨物列車を眺めている夢を。
芝生に座ってボンヤリと、通り過ぎる列車を眺めていた。
あの芝生は何処だったのだろう? 現存していただろうか?」

2chにもこんな書き込みがあったんですね。
「昔の国分寺を語るスレ」は2chの中でも、
かなり上品なスレッドであったことは間違いないようです。

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国分寺 あの日、あの頃

ジュースの噴水自販機に、渡辺ジュースのもと…。
昭和30年代後半から、40年代にかけての懐かしい話です。
私は主に立川駅前の中武デパート(現 FROM CHUBU)の前で、
父に買って貰いました。
紙コップを握り潰して、中身を殆ど溢してしまい、よく怒られたものです。
「渡辺ジュースのもと」は小学生の頃だったか、夏休みにはいつもコレ。
舌がオレンジ色になるやつですね、そしてあの味も…。
なんとも懐かしく思い出されます。

ネットで拾いました。
まあ、このくらいは勘弁して下さい。

4小出身なんでしょうか? 黒鐘公園からは良く眺めることができました。
今は武蔵野線となって、JR貨物の最新鋭機関車がすっ飛んで行きますが、
「あの頃」は、ディーゼル機関車が、短い編成の貨物列車を引いて、
トコトコという感じで、実にのんびりとした風情でした。
転校を最後に、会えなくなって幾年月。
夢の中で何十年ぶりかの再会、驚いて飛び起きてしまったんですね。
少年時代を思い出させてくれる下河原線。
国分寺と府中の大切な記憶です。

スーパーいまい…、懐かしすぎます。
幼少期に、母に連れられて「おつかい」に行ったのが、この「スーパーいまい」。
スーパーマーケットとしては、早い時期に閉店してしまい、
その後暫くは、酒類専門店(リカーショップ)として営業していたと思います。
昔は近くにお風呂屋さんがあって、我が家の風呂釜が故障したときは、
家族でお風呂に入りに行きました。
現在は、多喜窪通りの拡幅によって、「道路」になっています。

多摩蘭坂は、そもそも「たまらん坂」

当ブログをはじめからお読みいただくと分かる通り、
「多摩蘭坂」は昔から「多摩蘭坂」の標柱がありました。
「たまらん坂」と平仮名化したのが忌野清志郎、というのが妥当と思われます。
しかし更に時代を遡り、大正から昭和初期にかけて、まだ国立駅がなかった頃、
当時の商科大学(現一橋大学)の学生たちが、国分寺の終列車に間に合わすべく、
この坂を「たまらん、たまらん」と云って登っていったと言い伝えられ、
そもそもは「たまらん坂」が正解であった、という説が有力です。

昭和30年代か、もっと前の「多摩蘭坂」です。
国立は当時水はけが悪く、ひと雨降ると坂の下はこの通りでした。

「おっさんち」は既に記事で紹介済。
で、「加藤のおっさん」というのは? もしかして5小の前にあった文具店?
私が小学生の頃は、おっさんというよりアンチャンという感じで、
夏の盆踊りでは、やぐらに登って太鼓を叩いてました。
一升瓶をラッパ飲みしながら、その太鼓の上手い事上手い事。
今はマンションになってますね、勿論加藤さん所有でしょうけど。
何年か前、その前で加藤さんの息子さんと思しき方をお見かけました。
「クリソツ」の一語に尽きます、血は争えませんな。

また「鈴木牧場」の跡取りと当方とは同級生にあたります。
彼は牧畜だけでなく、畑で野菜も作っています。
ある時、彼の軽トラと偶然でくわし、道端で話をしていました。
「キャベツが安くて商売にならん」と御機嫌斜めでしたが、
元気にしているだろうか? あいつ。
(ヤオコー 立川若葉町店に彼の写真パネルが飾られています。)

ついに出たか… とらや。
正式には「虎屋」だったと思いますが、これまた小学生の頃です。
十円玉を握りしめて、夏はアイスクリーム。
その他の季節には、菓子パンなど、当方毎日おやつを調達していたお店です。
先日何十年振りかで、虎屋の前を通りました。
シャッターを閉じてもう何十年、という佇まいに、時の流れを感じました。
都道「府中 国分寺線」が開通して、町の姿は一変。
もう当時の面影を探るには、裏へ回り込まなければなりません。
国分寺ALWAIS、毎日ここで生きていた。
確かにあの頃生きていた。

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