ジーパン刑事が眠る丘 あきる野

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ジーパン刑事を知っているのは何歳以上だろう?
べっとり血のりが着いた両手を見つめ、
「なんじゃこりゃあ!」と叫んで死んでいった。
もちろんドラマの中での話なのですが、
1973年と云えば、あの田中角栄氏の全盛期でした。

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松田優作 あの日がまるで昨日ように

俳優、松田優作さんが眠る、あきる野市の西多摩霊園は、

民間の墓地でも都内最大規模といえるのではないでしょうか。

とてつもなく広大な丘陵地に広がる公園墓地は、実に良く手入れされていて、

四季の花が咲く静かな環境は故人ばかりでなく、

残された遺族にもひとときの安らぎを与えてくれます。

実は私の父もこの西多摩霊園に眠っています。

先日父のお墓を掃除に行った際に、ついでと云ってはなんですが、

優作さんの墓所に寄って、お参りと写真撮影をさせて頂きました。

「無」の一字を墓石に刻んでいるのは、映画監督の小津安二郎氏と同様に、

故人の生前の生き様を表しているのでしょうか。

松田優作 墓所

松田優作さんの墓所
墓石に刻まれた無の一文字

松田優作さんと云えば、「太陽にほえろ」のジーパン刑事の他、

「俺たちの勲章」や「探偵物語」などのアクション作品が中心ですが、

当の本人は「大の大人が昼日中からオモチャの拳銃を持って走り回るとは」と、

いささかこの流れに辟易していたと、何かで読んだことがあります。

役者さんの中には、固定的なイメージが付くことを嫌う傾向があるらしく、

故藤田まことさんも「必殺」のイメージが強くなり過ぎたと、晩年悔やんでいたとか。

松田優作さんも、役者人生の飛躍を目指してハリウッドへ渡ったのは有名な話ですが、

その頃皮肉にも癌に侵されていることが発覚し、

闘病生活の末、四十歳の若さでこの世を去りました。

西多摩霊園 つつじ

つつじの頃の西多摩霊園
多分4月下旬頃の撮影だと思います

死ではなく 無であるということ

数ある優作さんの作品の中で、私が最も印象に残っているのは、

角川映画「人間の証明」です。

刑事ものですが、あまり派手なアクションは無く、

森村誠一原作らしい推理中心の展開でした。

西條八十の「麦わら帽子」にまつわる詩が、事件の鍵となる筋書きでした。

偶然と云いますか、人間の死というものは谷底に堕ちた麦わら帽子のようなもので、

誰にも発見されることなく、その存在が他者の眼から永久に消失しながらも、

存在そのものは決してこの世から消えたわけではないという、

所謂「無」の状態を説明するにこれほど都合のよい題材は無いと感じています。

雪のマッキンリーに消えた冒険家「植村直己」さんのように、

決して消失してしまったのでは無いように。

父の墓参に来るたびに思うことですが、セミの鳴き声意外に聞こえる音が無く、

また季節によってはカエルであったりカラスであったりと、

「音源」は異なれど人工のそれが無いというのは、本当に贅沢なことだと思います。

優作さんは毎日ここからの眺めに何を感じているのか?

隣には甲子園をかけて今まさに闘っている東海大菅生高校も見えます。

優作さんは死期が近付いた頃、「般若心経」を暗記していたそうです。

今頃天国で、あのドスの利いた声で「ぎゃーてい、ぎゃーてい」とやっているのでしょうか。

松田優作 墓所からの眺め

優作さんの墓所からそのまま「まわれ右」した風景。
彼は毎日この風景を眺めています。

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