正月も3日になると少しウンザリ感が、
何といっても大晦日の夜から続いていた「お酒」。
これが体に響いてくる頃なんですね、やっぱり。
毎年思うことではありますが、一年の始まりを、
もうちょっと健康的に過ごす術はないものか?
若いころはスキーやら、なにやらと、
外出先には事欠かなかったわけですが、
年末年始の混雑の中、もう一切外には出たくないと、
すべては年齢のせいに出来るようになってしまった。
2017 謹賀新年
去年の半ばから始めた「たまらん坂にて」。
「多摩蘭坂」ではなく、平仮名にしたのは、坂道命名の由来と殆ど同じでした。
誰にでも「人生のたまらん坂」があると思いますが、私もそんな感じでした。
国分寺と国立の地形的落差を、「たまらん」と云って駆けて行った当時の大学生達。
若者に無体な試練を課すのが、社会の流儀なのかどうかは知りませんが、
この国はそれが少し多すぎるのではないかという気がしています。
確かに諸外国に比べれば、年功序列のしきたりが卓越した国であると感じます。
若者の苦悶の上に胡坐をかく老害を、当たり前のこととして受け容れて来ればこそ、
自分がその年齢になった時、「老害」に甘んじることになんらの後ろめたさも無く、
「順番が廻って来ただけのこと」、と涼しい顔も出来ようというものです。
しかし、バブル崩壊以来この国はそれまでのルールを無視するかのように、
やれリストラだの、終身雇用の崩壊だのと、モラルハザードが正当化されてしまった。
若いからという理由で苦労を舐めて来た世代が、加齢と共に得られるはずだった立場が失われ、
逆に、競争力の低下を招くという理由で社会からつまはじきにされる。
自国の文化を顧みない、身勝手なグローバリズムを進めてしまったからでしょう。
バブルで浮かれていた世代が、バブルの恩恵を知らぬ世代に支えられる理不尽を、
今我々は眼にしているところではないのでしょうか。
勝てば天国、負ければ、ようこそタチカワへ
若者に課せられた試練と云えば、正月の箱根駅伝。
私も毎年これを楽しみにしていますが、この試練は「選ばれた若者」だけに与えられます。
彼らは自ら志願し、切望して箱根に挑んでいます。
このはれがましいロードに出るために、「立川の試練」を潜り抜けて来た強者たち。
黄金時代の到来に歓喜する大学があれば、凋落に沈むチームも。
「そのとき自分が何処にいたか」で分かれる天国と地獄。
これも理不尽そのものに見えなくもありませんが、人生とはそんなものか。
誰にでも何時かは訪れる、人生の「たまらん坂」。
今年も一年、宜しくお付き合いの程、お願い申し上げます。
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