米国のオバマ大統領が広島平和公園を訪れたことは、
久々日本国民に戦争と平和について、
強いインパクトを与える出来事でした。
私もTV中継を見ながら、
その出来事の重さを感じていました。
壁に刻まれた昭和
戦争当事国の両首脳が揃ってヒロシマの爆心地に立つ姿に、
「パリは燃えているか」の旋律が空耳のように聞こえ始めたのは、
私だけではないだろうと思っています。
それから71年の歳月を要したのだという現実が、非常に重く感じたからだと思います。
同時にオバマ大統領のスピーチが予想を超えて長かったことも、
日本国民の感動を呼んだことは間違いないと思います。
多くの人が記者会見に毛が生えたよいうな、
簡単なコメント程度のものをを予想していたと思いますので、
良い意味での「裏切り」が準備されていたのだなと、合衆国のマインドに感謝しています。
さてこの戦争についてですが、
広島以外にも日本の至るところにその爪痕が遺されていると思いますが、
多摩地域にもそれはあります。元々立川などは軍都であったために、
周囲にもっと沢山の「残像」が残っていても不思議ではないと感じますが、
私が特に御紹介したい「残像」は、東大和市の「旧日立航空機変電所跡」です。
ここも命が散った場所
西武拝島線玉川上水駅から徒歩数分で到着できます。
戦時中は大手航空機部品製造工場だったところで、
現在は「都立東大和公園」として整備されています。
公園名で検索すれば多数の画像や記事に出会えるはずですので、
ここでは詳細を割愛させて頂きますが、
終戦の昭和20年、2月と4月の2回に渡って米軍の空爆を受けた建物が、
そのまま残っています。
典型的な戦災建造物ですが、平和な公園の中に何の違和感も無く普通に存在している点では、
「リトルヒロシマ」と呼ぶに相応しいのではないかと感じます。
機銃掃射でボコボコにされた壁の前で、小さな子供たちがボール遊びをしています。
そこでお父さんお母さんが戦争の話を聞かせた所で、
子供たちに実感が沸いてることは多分ないでしょう。
それは広島の原爆ドームだって同じこと。
広島に原爆が投下されたのは、その機銃掃射の三か月後のことです。
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