随分更新をサボってしまった。
といっても私自身は忙しく立ち働いていたのであるが、
ようやっと年金受給が見える年齢となり、
少しゆっくりしてみようかと思うようになった。
また今年も静かな夏
連日の猛暑にコロナの第7波、
今年もまた立川市の花火大会は中止になってしまった。
隅田川とともに、今年もまた静かな夏がやって来た。
思えば昨年の今頃は、無観客の五輪開催に脱力し、
世論は都と国の無責任をこれでもかと糾弾していた。
そして今年は安倍元総理の事件に、国葬、宗教団体など、
ちっとも静かじゃないじゃないか・・・、
しかし当方の周囲で騒がしいのは蝉の鳴き声だけである。
そう思える年齢になったということか、
実を云うと私は今年になってもう二度も入院している。
これもまた年齢のせいであろう。
長くて短い病床の一日
私が入院していた昭島市のこの病院は、多摩地域では屈指の病床数を持つ。
屋外の発熱外来はいつも閑散としていたが、今は日に4~500人が殺到するという。
「良い時に入院した」というわけでは無いが、
医療従事者、とりわけ看護師さんが相次いで感染しているらしい。
こうなると、入院患者もおちおちしてはいられまい。
入院中は看護師さんとの会話を如何に長く引っ張るか、
スマホをいじるだけでは間がもたない当方にとっては、これが課題であった。
そうでもしなければ一日が過ぎてくれないのである。
しかし退院となると一転して時の過ぎるのが異様に早くなる。
あたふたと支度をし、会計など諸手続きをしているうちに昼近くなる。
看護師さんにはなるべく暇にしていて貰うのが、患者の精神衛生上大切なのだ。
人生は線香花火の如し
夏になると思い出すのは、やはり子供の頃の夏休み。
一ヶ月以上も学校が無く、自由に毎日を過ごせる事は子供にとって重要である。
夏休みといえば、当方の場合「オッサンち」通いが何より思い出される。
(「オッサンち」については下部リンクを参照されたい)
お小遣いをポケットに、花火を買いに行く時のわくわく感が忘れられない。
特に私はロケット花火が大好きで、工夫次第で一度に何発も点火出来た。
私は近所の子供達の中でもとりわけ「打ち上げ名人」であった。
一方で母や姉は、「線香花火が一番綺麗」といって譲らなかった。
今にして思えば私は健全であった。
「線香花火が好き」と言わなかっただけ健全であった。
子供は子供らしい子供時代を過ごしてこそ、
責任ある大人に成長出来るのだ。
今は線香花火の風情が好きだ。
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